CAREER Model インタビュー企画 株式会社インプレス 出版営業部 文芸学科卒業 吉野萌さんに聞いた「日藝」とは??

―当時を振り返り,日本大学芸術学部へ入学された動機など,教えてください。

日本大学も全体から見ればそれなりの偏差値帯に属していますが、当初はいわゆる「高学歴」になることができる大学を目指していました。でも、自分が大学で何をやりたいかについて再考してみると「書籍の編集について学びたい」と強く感じ、大学選びの基準を「高学歴」ではなく「書籍の編集が学べるか」に置き直しました。すると、書籍の編集について、実習という形で編集ソフトを使って学ぶことができる授業は日藝の文芸学科くらいしかないと感じ、志望することを決めました。他にも文章について学ぶことができる大学や、サークル活動で編集に携わることができる大学はありましたが、少なくとも私がインターネットで調べたり、オープンキャンパスに行って在学生に質問した限りでは、私が大学に入って学びたいことは日藝にしかありませんでした。

3年次の日芸祭で総務長の仕事をしていたときの写真です

―学生時代はどのようなことを専門に学ばれていましたか。また,学生時代はどのようなことに打ち込まれていましたか。

前の質問で学びたいこととして挙げた「書籍の編集」はもちろんですが、1番は「コミュニケーション」を学んだかなと思います。文芸学科のソコロワ山下聖美先生が、とある授業で「文芸学科で学べるのは、コミュニケーションです」と話されていたことが印象的でした。ソコロワ先生曰く、小説でもメール文でも報告書でも、文章というものは人に何かを伝える(コミュニケーションをとる)ための道具であり、文芸学科はその文章を学ぶための学科である、とのことです(数年前の記憶なので細部に齟齬があったら、ソコロワ先生に怒られに行きます)。なるほどと思いました。先述の通り、もともと文章を学びに来ていたわけではない私ですが、結果的には文章を学び、コミュニケーションを学んでいたなと感じています。

私は学生時代に日芸祭本部実行委員会に所属し、日芸祭の準備に打ち込んでいました。私がいたのは「総務部」という、学内の団体と日芸祭本部実行委員会、ひいては大学そのものとの間を取り持つ、「縁の下の力持ち」な部署です。2年次の日芸祭は残念ながら中止になってしまいましたが、サークル内では最高学年に当たる3年次でコロナ禍に対応した日芸祭づくりにチャレンジしたのは良い経験でした。

日藝にはいろいろな人がいます。とても一般人とは呼び難い、個性的で素敵な人たちです。ただし、彼らは組織の言うことをなかなか聞いてくれません。新しい形の日芸祭であれば、なおさらです。そういうときでも、どう話せばわかってくれるのかなど文章を通したコミュニケーションが役に立ったと感じています。

3年次の日芸祭で総務長の仕事をしていたときの写真です。
疲れすぎたのかゴミ箱の上に座っています。

―学生時代に印象に残っている授業科目や課外活動などはございましたか。

いろいろありますが、1番楽しかったのは小神野真弘先生の「ジャーナリズム実習Ⅱ」でしょうか。この授業は先生が提示した課題に沿って、各々成果物を提出するというシンプルなものです。最初のお題は「食べ物についてのエッセイ」でした。私は自分の家でしか使用されない言葉「嘘抹茶」について書きました。文芸学科ホームページの「創作物」ページに載せていただいたので、興味があれば読んでみてください。自信作です。

自信作だと胸を張って言えるのは、小神野先生が褒め上手だったからです。当然、褒めてもらったから楽しかったのではありません。あの場では誰もがのびのびと自分の作品を発表できて、良いところも悪いところも素直に講評し、それを受け入れることができました。文芸学科、ひいては日藝とはそういう場であると思うし、そういう場であり続けてほしいと思います。在学中によく「私が言う楽単(楽に取れる単位の略語)は『楽しく取れる単位』だから!」と話していましたが、「ジャーナリズム実習Ⅱ」はまさにそういう授業でした。

そして、1番タメになったのはやはりゼミです。文芸学科では1年次からゼミに所属することになっています。たくさんタメになる経験を得ることができたゼミですが、中でも3年次、4年次に所属した谷村順一先生のゼミがその最たるものだなと思います。谷村ゼミでは日藝の公式的な広報誌「Art Campus」を制作しています。これが大変で、企画立案から取材、記事執筆まで主だったところは全て学生が行っています。誌面デザインも、デザイン学科の学生が担当しています。Art Campusの制作は、私が大学で学んだことの中で実際の編集者に1番近いことだったなと思います。締切前はまさに修羅場でてんやわんやしていました。ですが、スケジュール管理や取材の依頼方法など、現在や今後に生きることをたくさん学ぶことができました。締切前に修羅場が訪れていた理由の一つに、私たちが挙げた取材が大変そうなアイデアを、谷村先生が「いいじゃん!」と言って企画として認めてくれたことがあります。恨み節ではありません。谷村先生がいいじゃん!と言った企画は確かに大変なものですが、私たちの力量を大きく超えてしまうようなものではありませんでしたし、大変だった分、面白い記事が出来上がりました。むしろゼミ生は谷村先生の「いいじゃん!」待ちなところがありました。

大学4年間で制作したものの一部(ゼミ雑誌とArt Campus)です。この写真を撮るにあたって3年次に制作したゼミ雑誌を受け取り忘れていることに気がつきました。今度の日芸祭でこっそりもらおうと思います。

―日藝に入る前のイメージと,入学後,卒業後のイメージにギャップはありましたか。

ギャップという意味ではあまりなかったと思います。

予想通り個性的な人がたくさんいましたし、先生方の講義も興味をそそられるものばかりで、最初からMAXで楽しい学生生活でした。でも次第に、自分の「個性のなさ」に悩むようになりました。私とて高校生まではそれなりに「個性的な子」だったと自負していますが、日藝の「個性的」のレベルは高く、私は入学した途端に普通の子になってしまいました。

しばらく悩み続けていましたが、あるとき友人から「吉野は日藝だと普通で浮くけど、日藝以外の大学でも変で浮くよね」と言われ、視界が開けました。個性的な人が多い日藝においては、「普通であること」はそれだけで立派な個性でした。日藝を目指すみなさんも、入学後に自分の個性に悩むかもしれませんが、案外その悩みこそ、あなたの個性かもしれませんよ。

卒業後も、日藝出身であると自己紹介すると「あの日藝ですか!」というような反応が多く、前学部長の木村政司先生が繰り返しおっしゃっていた「日藝ブランド」の効力を感じました。日藝は、在学生が思っている以上に知名度が高かったです。

コロナ禍以前は文芸ラウンジで集まって、ホールケーキや1キロチーズピザなどいろいろなものを食べていました。写真はマックのナゲット15ピースを4パック買ったときのものです。店員さんに3回ほど確認されました。 
卒業証書授与式で優等賞をいただいたときの写真です。勉強もサークルもしっかり頑張れたから今があります。

―学生時代に抱いていた「こうなりたい,こんなことをしたい」という「夢」について教えてください。

幼少期から本が好きで、その理由として「紙と文字で作られているから好きなんだ」というものに思い至ったときから、そんな本を作り、紙と文字を世の中に増殖させられる書籍の編集者を目指していました。

個人的には小説家や画家といった特別な才能や運が必要なお仕事よりは身近だと思っていますが、その門戸は決して広くは開かれていませんし、編集者になるには対策が必要だということもわかっていたので、在学中はとにかくアピールポイントをたくさん用意しようと思っていました。そのために書籍の編集に関係がありそうな授業は全て受講しましたし、ゼミで年に1回制作するゼミ雑誌では必ず編集委員になり、他ゼミの編集も担当していました。結果的に、在学中には10冊以上の書籍を編集していました。

このアピールポイントが役に立ったかはわかりませんが、今現在は出版社に勤めていて、ジョブローテーションによって数年後には夢を叶えられそうです。

卒論です。誰かの先行研究になれたらいいなと思って今は私個人のnote上で中身を公開しています。

―現在のお仕事に就かれた理由や動機などを教えてください。

1番の目的は、「紙と文字を世の中に増殖させる」です。

現在は営業職で、直接的に紙と文字を増殖させているわけではありませんが、書店さんに合った本を論理的に説明し、納得して仕入れてもらうことで、その地域の紙と文字を増やしています。

それから、小学生の頃から大好きな小説の主人公が「みんなが幸せになるように事件を解決する名探偵」であったことを理由に、就職活動の軸として「自分が携わったコトやモノを伝えることで人を幸せにしたい」というものを設定していたのも大きいです。

インプレスは、出版事業以外にもウェブメディアの運営やビジネスパーソン向けのセミナーなども行っています。つまり、伝える手段が多いのです。手段が多ければ多いほど、幸せにできる人も増えていきます。改めて考えてみても、いい会社を選んだし、選んでもらえてよかったなと思います。

新入社員の自己紹介プロジェクトの一環で、こちらの写真で自分たちのアクリルスタンドを作りました。

―現在のお仕事の内容ややりがい,こんな形で社会とつながっている,といった紹介をお願いします。

これを書いている時点で、営業部へ配属になってから4ヶ月と少しが経ちました。自分の担当エリアが決まってからだと3ヶ月しか経過していませんが、いくつかの書店さんでは私の顔と名前を覚えてくださっているジャンル担当さんがいらっしゃいます。世の中に無数にある出版社のいち担当営業を、ましてや新卒のペーペーのことを覚えてもらえるなんて、これほどありがたく嬉しいことはありません。出版業界の約束事として、書店さんは売れない本を出版社に返品することができます。書店営業はこのときに、書店員さんに顔を思い出してもらって「〇〇さんが悲しむか……」と思いとどまってもらえるように頑張らないといけないのだそうです。私の顔と名前を覚えてくださっている担当さんの何人かはそう思ってくれているのかもしれないと思うと、訪問のしがいがあるというものです。

書店営業の仕事は本を仕入れてもらうことだけではありません。仕入れてもらった本が売れるように、お店に販促用のPOPや紙什器を設置することも仕事のひとつです。お店のPOSデータを見て、設置させていただいた書籍が売れているとわかったときは、ああ、読者にこの本の良さが伝わったのだなと思い、とても嬉しくなります。自社の商品をアピールし、読者に購入していただけることは、社会とつながっていると言って差し支えないと思います。

―現在のお仕事で「日藝」時代の学びや経験から得られた能力などがあれば教えてください。

やはりコミュニケーション能力でしょうか。先輩や上司から、「吉野さんはメール文が熟れている」と褒めていただいたことがあります。日芸生は個性的だと何回か書きましたが、中には物事について理解する道筋も個性的な人がいます。そういった人でも伝わりやすい文章を考える力は、社会人としても役立っています。日藝で文章を磨き、それを通してコミュニケーション能力を向上させることができたのだと思います。

それから、スケジュール管理能力と修羅場の乗り越え方も在学中に得られたものだなと思います。このふたつは、ジョブローテーションで編集部に異動になった後に本領を発揮することになりそうですが、営業部でも締切は常に発生していますし、日々営業で外に出ているとあっという間に事務作業が溜まっていることがあり、個人的な修羅場を発生させてしまうこともしばしばあります。

営業中は1人で写真が撮れないので、代わりと言っては何ですが営業用カバンとその中身です。書店さんで設置する紙什器やPOP、帯などが入っています。下の黒いファイルには注文書が入っています。紙の重みを感じる日々です。

―現在のお仕事を進める中で日藝を出て,良かったと感じるエピソードなど,ございましたら紹介ください。

どの会社でもそうだと思いますが、「社会」というものはいろんな人がいます。

数ある社会の中でも特に濃い場所である日藝で「いろんな人耐性」のようなものを身につけておけたのは大きいなと思います。出版業界は、名物とも呼ばれるようなベテランさんが多い業界なので、そういった方々のお話を驚きすぎることなく楽しく聞くことができるのは「いろんな人耐性」があるおかげかなと思います。

―これから受験を考えている高校生に,日藝をお勧めする(としたら)一言をお願いします。

まず、日藝はとても楽しい場所です。いろんな人がいて、「普通」であることすら個性にできます。それから、日藝はかなり自由です。何かをしても、しなくても良い場所です。私のように日藝でやりたいことが明確にある人にとっては最高の環境と、最高の先生が揃っています。あとは行動するだけです。あなたが最高の学生生活を送れますように!

文芸学科 2023年卒業
吉野 萌(ヨシノ モエ)
株式会社インプレス 出版営業部所属/学校推薦型選抜(公募制)
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