アイドルは、挑戦と変化による承認のプラットフォーム〜2~

 アイドルに関する研究は、近年やや減少してきた感があるが、現在はアイドルの活動場面におけるファンの行動を参考にして、新たな消費者行動などを考えようと言う観点も増加してきたので、アイドル現象の分析は多方面で需要のあるものともなっている。
 しかし、これまでに行われた分析がいかされた上で研究が行われているかという点では疑問符がつく。この論考の〜1〜では、「推し活」と呼ばれる現象が現代社会のメディア状況の中で新たに生まれたものではなく、これまでの日本文化の歴史の中に連綿と引き継がれてきた何かであることを指摘した。本稿ではまた角度を変えて考えてみたい。

※放送学科研究誌「放送と表現 2025.Vol.28」より抜粋し加筆修正を行ったものです。

成長を見守るという神話

 アイドル、特に日本のアイドルについては、テレビで新たなアイドルたちが登場した昭和以降、旧ジャニーズタレントの全盛期から、さらには2000年代まで、未成熟な少年少女たちを応援し、その成長を見守ることが特徴なのだとされてきた。

 これはデビューまでに過酷ともいえるトレーニングを受け完成された姿でデビューすることが多いK-POPのアイドルと比較される中でも度々指摘されていた(ただこれは韓国発のオーディション番組の隆盛と、日本のアイドルのデビューの遅延から逆転したのではという議論もあった)。この背景を考えてみたい。

 アイドルという言葉がメディアに登場したきかっけでもあるのは、シルヴィ・ヴァルタンらアイドル俳優がが多数出演した1964年のフランス映画「アイドルを探せ(原題:Cherchez l'idole)」であると思われる。しかし映画界においては「戦前レジーム」を書き換えたとも言われるオードリー・ヘップバーンの存在がきわめて特異なアイドル的現象であったといっていい。

 オードリーは「ブロンドの髪、豊かなバスト、男性より低い身長」といったそれまでの映画女優における美の基準を全て書き換えて、あらたな女性の美を提示した存在でもあった。オードリー主演の「ローマの休日」では、彼女が演じるアン王女が、ローマで自国の大使館を抜け出し、サンダルを買い、美容室で髪の毛をバッサリと切り、自由闊達にローマを散策する名シーンがある。そこには旧態依然とした王室にいる若き女王が、それを捨て去って新たな女王へと生まれ変わる様相が映し出されている。と同時に、旧態依然とした映画における女性美を抜け出し、あらたな時代の女優の魅力を提案するオードリーの姿がそこには重ねられてもいる。スクリーンの前でオードリー沼にはまっていった人々が見たのはそうした二重の意味で変化を遂げるオードリーの姿であった。オードリーはその後「麗しのサブリナ」においてはそ服飾デザインで斬新な魅力を提示し、さらに「マイフェアレディー」ではロンドンの下層の町娘から、上流階級のレディーと見違えられる存在へという大きな変化を演じている。

 「マイフェアレディー」でオードリーの演じる役柄を単体で見る限りは「成長」と言えなくもないが、彼女自身が体現したものは、同時代のエルビス・プレスリーや同じく映画界のジェームス・ディーンらと同様に、あらたな消費主体である若者たちに呼応する「革新」とでも呼ぶべきなにかである。その意味では彼女も「恐るべき子供たち」の一人だったと言っていい。「マイフェアレディー」は言語学者ヒギンズ教授による薫陶と成長だとする読解もあるのかもしれないが、基本はヒギンズ教授による挑戦を受けてたつ少女の物語でもある。オードリーが見せてくれた世界は「革新」という名の「挑戦と変化」の物語なのである。

 アイドルの世界で非常によく語られる言葉に「見たことのない景色」という言葉がある。あるいは「新しい景色が見たい」という言い方もよく使われるだろう。美容室で髪を切るアン王女に言わせても成立するセリフだ。通常ライブを行なっている会場ではない、聖地とされるような会場への挑戦や、毎年定期的に開催される老舗アイドルフェスティバルへの出場枠の獲得などがわかりやすい事例であろう。そうした成長にもつながる挑戦だけではなく「今までとは違う何か」を常に志向しているのがアイドルであるように思える。アイドルのイベントでは「挑戦」という言葉がよく使われるし、その結果をまとめた「ドキュメンタリー」も頻繁に作成されている。

 挑戦は成長につながるようにおもわれるが、成長には大きな問題点がある。それは成長の時間軸にはいつか終わりが来るということである。1951年にデビューしたオードリーもその挑戦の軌跡は20年も続きはしなかった。その後、日本のテレビでもアイドルと呼ばれる存在が数多く登場してくるが、みなわずかな期間でマイクを置いて去っていくこととなった。

 これを書き換えたのがモーニング娘。である。オーディション番組で最終選考に残るも優勝できなかったメンバーたちによるこのグループは、挑戦を番組で見守った多くの視聴者・ファンたちに支えられ、1998年デビューを果たす。そしてその後、新メンバーの加入と「卒業」というシステムを生みだした。かくしてモーニング娘。の時間軸は、私たちが生きる実時間から切り離され、全く別の次元の時間軸として挑戦と変化を続けることが可能になった。現在のメンバーは全てがグループ結成以降に生まれたメンバーなのだが、誰が卒業してもモーニング娘。は「永久に不滅」でいることが可能になったのである。となるとここで求められているのは「成長」であるとは考えにくい。アイドルの時間は現実の時間とは異なる軸であり、「常に変化している」ということが「不変」である必要があるわけだ。日々「革新」という名の挑戦と変化を続けていく「モーニング娘。」というストーリーこそがそこにはある。これが、現在のアイドルというコンテンツなのだと言ってもいいだろう。

放送学科
兼高聖雄
社会学博士。東京都文京区生まれ。神奈川の生物科学系大学、福島のビジネス系大学、埼玉の総合政策系大学などの教員を歴任し、日芸に。専門はメディア・コミュニケーションの社会心理学。マスコミ理論、マーケティング、サブカルチャー論も研究範囲。担当したい科目はアイドル文化論。日芸のサークルでは「ドルクラ☆」が推し。
OTHER TAGS