とある駅に置かれた1台のストリートピアノ。誰もが自由に演奏することができるこのピアノは、休日ともなると朝からフル回転だ。年齢や職業、ジェンダーを問わず、入れ代わり立ち代わり大勢の人が思い思いにピアノを弾き、音楽を楽しむ。そして、演奏が終わるたびにどこからともなく拍手が巻き起こる。
ピアニスト、作曲家にして人気YouTuberでもある菊池亮太さんも、こうした街角のストリートピアノで演奏し、その動画を配信している。2023年6月現在、YouTubeのチャンネル登録者数は59.6万人、動画再生数は2.4億回以上を誇る。高難度のクラッシックからジャズ、J・POP、ジブリまで、レパートリーは実に幅広く、弾けない曲はないと言われるほど。圧倒的な即興力と表現力、超絶技巧と言われるテクニックで響かせる音楽は、家路を急ぐ人も思わず立ち止まって聞き入るほどの素晴らしさだ。
ストリートピアノでの演奏は事前告知を行わないが、その音色を聞いて菊池さんの演奏だと気付く聴衆も多く、演奏が終わるとそっと駆け寄って感謝や激励の言葉を伝える人も。演奏曲をリクエストするファンの申し出には、時間が許す限りそれに応えて演奏する。ストリートピアノを介したやりとりについて菊池さんはこう話す。
「本来出会う機会のなかった人同士をつなげてくれるのがストリートピアノだと思っています。聞く人と弾く人、弾く人同士でコミュニケーションが自然に生まれるのは、街中にあるピアノならではです」
菊池さんがストリートピアノに興味を持ったのは、2018年に東京・国立市で開催されたイベント「Play Me, I’m Yours Kunitachi 2018」にゲスト奏者として招かれた時のこと。駅や公園、カフェなどにストリートピアノが設置され、コーヒーやサンドイッチを片手に演奏を聞いたり、気軽に演奏したりする様子を「すごくいいな」と思ったのだという。
「そもそもピアノは、屋内で歴史を築いてきた楽器です。古くは貴族から大衆へ、宮廷からホールへ。時代が変わっても、ピアノという楽器はあくまで建物の中で演奏されることを前提に進化してきました。そんなピアノが街で気軽に弾けて、気軽に聞けるのは本当に素晴らしいことです」
ストリートピアノが爆発的に広まったのは2019年のこと。東京都庁の展望室に草間彌生さんデザインのストリートピアノが設置されたことをきっかけに、各地に置かれるようになり、それと同時にYouTuberピアニストの存在も広まった。コロナ禍のステイホームで動画を見る時間が増え、演奏動画を通してストリートピアノやYouTubeで活躍するピアニストの存在を知る人も増えたという。
「ストリートピアノの一番の魅力は、かしこまらなくていいところです。ピアノ=お稽古事という先入観や、クラシック=ハードルが高いというイメージが根強くあるため、ピアノは、弾く時も聞く時も〝真剣に向き合わなければならない〟という堅苦しさがあると思うんです。でも、街中にあるピアノは、〝ただふらっと弾いて帰る〟が許される気軽なもの。ストリートピアノの存在によって、ピアノをより身近に感じてくれる人も増えたと思います。演奏家にとっても、行く先々にピアノがあるって本当に幸せなことです」
本学在学中から、アーティストのライブサポートや、ゲーム音楽・CMなどへの楽曲提供を行っていた菊池さん。YouTubeで演奏動画の配信を本格的に始めたのは2019年のことだ。
「2015年頃から、Twitterではたまに動画を上げていたのですが、2019年にバイト先のバーで演奏中に撮影した『バーでバレずに暴れん坊将軍を弾く方法』という動画がバズりまして。それを見た友人のピアニストが、YouTubeをやったほうがいいよと勧めてくれて始めました。最初はTwitterでバズっていた動画をまとめてYouTubeに上げたんですが、1カ月ほどで登録者数が3万人を超えて。それから2020年7月まで500日間、毎日投稿しました」
その後も街のストリートピアノの盛り上がりと呼応するように、チャンネル登録者数が増加。同時に菊池さんの活動の場も広がり、イベント、コンサート、夏フェス出演、さらに今年8月にはイギリスのイベントにも招聘されている。
「コンクールで実績を積んで世に出て行くのがピアニストの王道だとすれば、僕は王道ではない道からプロになったことに誇りを持っています。自分だからこそできることをやる、自分にしか発信できないことをする、ということを見失わずに活動していきたいと思っています」
母はピアノ、父はトロンボーンに親しむ〝音楽好きの一般家庭〟で育った菊池さんが、ピアノを始めたのは4歳の時。音楽教室に通ったが練習はサボりがち、ただ、人前で弾く発表会だけは好きだった。ピアノを志すようになったのは小学5年生。校歌の伴奏を任され、練習を重ねて本番に臨むと、「『すごいじゃん!』とみんなに注目されて、すっかりその気に。〝自分の強みはピアノなんだ〟と強く思ったのを覚えています」
あっという間に情熱に火が付いた菊池さんは、猛練習をして入試を突破し、国立音楽大学附属中学校に入学した。するとそこには「幼い頃からコンクール入賞の常連」といった〝弾ける子〟がたくさんいて「突然自分のアイデンティティーが吹き飛ばされた気がした」という。コンクールで高みを目指す同級生の中で、ひたすら音楽を楽しむことに重きを置く学校生活を送り、そのまま附属高校に進学。音大を受験しようと考えていた高校3年の冬に、人生を左右する出会いがあった。
「冬期講習で、日本大学芸術学部音楽学科の神野明教授(故人)にご指導いただきまして。『うちを受けてみたら?』と言われたんです。僕自身、神野先生のご指導にしっくりくる部分があって、急遽受験を決めました」
この時、入試まで2カ月弱。誰に話してもよく間に合ったと言われるほど、ギリギリの進路変更で勝ち取った合格だった。
「結果、日大を選んだことは最良の選択だったと思っています。良い悪いということではありませんが、音大に進学していたら、それまでと同じように周りのライバルたちとしのぎを削ることに必死になっていたはず。日大に行かなければ、今の自分はなかっただろうと思うんです」
中学・高校と音楽一色の生活を送っていた菊池さんにとって、多様な学科で学ぶ友人たちとの交流は、新鮮で刺激的だった。
「在学中、軽音サークルに所属していたんですが、演劇学科や映画学科、文芸学科など、いろいろな学科の人たちが集まって音楽をやる。みんな音楽を専門としていない人たちだから、すごくフラットに音楽を楽しむことができたんです」
学部祭では観客千人規模のライブを企画・開催するなど、心に残る出来事はいくつもあるが、中でも印象深いのは、映画学科の卒業制作で楽曲提供を頼まれた時のことだという。
「映画学科の広いスタジオの真ん中にピアノを置いて、巨大スクリーンに映像を流しながら、監督や映像スタッフと一緒に、即興で映画音楽を作ったんです。これは本当にいい経験になりました」
こうした経験は、今、街角のストリートピアノで、観客のリクエストに応えて即興アレンジを披露する菊池さんの姿につながる。
「音楽活動って、音楽家だけでやるものではなく、そのベースに社会があってのもの。音楽を作ってほしいと思ってくださる方、聞きたいと思ってくださる方、場を仕切ってくれるスタッフ、いろいろな方との関わりの中で1つのものを生み出すということが分かった学生時代でもありました」
今後は「取り組みの一つ一つを、最大限楽しくインプットしてアウトプットし続けたい」と語る菊池さん。さらなる活躍が楽しみだ。
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