“ニチゲイ”映画学科がモデルの漫画 『クニゲイ』の作者に聞くジャンプ+連載までの道のり

映画学科映像表現・理論コース出身の髙野陽介さんが描いた『クニゲイ〜大國大学藝術学部映画学科〜』がジャンプ+で連載がスタートしました。髙野さんに在学時代の思い出もまじえて連載デビューまでの思い出をうかがいます。

©髙野陽介/集英社

                                                     

―クニゲイの連載おめでとうございます。

ありがとうございます。

髙野さん、作中にも登場した大教室にて

―本作は映画学科と教授たちがモデルになっていると伺ったのですが、主人公の加々美大助にもモデルはいるのですか?

大学1年生の頃の自分です。物作りをしたいと言いながら、友達ほしい、オシャレしたい、彼女がほしいと浮ついたことも考えていた…その頃の自分を思い出すと虫唾が走るし、ぶん殴りたいですね笑 お友達をつくりに来たんじゃないぞと笑 そんな気持ちがライバルの大澤門の大助への厳しい言動に出ているのかもしれません。

©髙野陽介/集英社 
主人公のライバル大澤門

―ライバル・大澤門にもモデルが?

大助と門のベースにあるのは二律背反する自分自身です。大学を楽しみたい大助と対極にあるのが門で、ゴリゴリと創作だけに打ち込む理想の自分。

あと門には3人のモデルがいます。ズバズバ忌憚のない意見を言ってくれる妻と担当編集。あと1人は日藝在学時の同級生。僕が金髪になって初日で周りの反応を気にしている中で、「似合わない」と真正面から否定してきた。喧嘩しかけたけど、そいつのドキュメンタリー作品は面白かった。将来に不安を感じている被写体に対して「将来どうするつもり?」とズバッと聞ける。その時に(良い意味で)性格の悪いヤツは面白いものが作れるのかもしれないな…と思いました。フィクションでもノンフィクションでも人が追い込まれている姿は面白いですから。

学内施設の取材をする髙野さん

―教授だけでなく学友も厳しかったのですね?

むしろありがたかったと思っています。気遣いは創作の敵なので。

先ほど大澤門のモデルの一人として挙がった担当編集も面白くないものは面白くないとハッキリと言ってくれる方。厳しいことを言われて泣いて帰った日もあるけど、面白いと言ってくれた作品は必ず掲載会議で通る。「自分を、感想を出力するAIだと思っていい」とまで言ってくれて頼もしいです。

―厳しい指摘への耐性は在学中に培ったのでしょうか?

クニゲイの第1話にも出てくる映像で自己紹介をするプロフィール課題の講評会は実体験でした。僕も含めてかなり厳しいことを言われる中、自分の顔面の体毛を剃る同級生の作品だけは教授陣が笑っていた。学生の作品を批評する立場から、一瞬だけ純粋な映画の観客になっているように見えた。今でも彼の作品だけは僕自身も忘れられません。

©髙野陽介/集英社

在学中はそういった同級生の作品や活躍に刺激を受けました。声優業をしている同級生の一人が在学中にスターダムに乗った瞬間も間近で見て、嬉しい反面不貞腐れてた思い出もあります笑

―嫉妬できるライバルがいるのが日藝の良いところですね。

僕の場合、劣等感が原動力でもあります笑

小学生の頃から漫画家を目指していたのですが、中学の美術部には絵の上手い同級生がたくさんいた。負けじと沢山の作品を描き続けたことで、高校生の時に応募した漫画が手塚賞の最終候補に残ったこともありました。

―漫画家を目指すなか、なぜ映画学科を志望されたのですか?

手塚治虫の漫画家を目指す若者への教えの中に「一流の映画をみろ、一流の音楽をきけ…」という言葉があります。子供の頃から好きだった『NARUTO-ナルト-』の岸本斉史先生をはじめとして凄い漫画家に映画好きの方が多かった。それで「映画には何かある」と思い、映画学科で学ぶことを決めて、附属校の日本大学櫻丘高等学校に進学しました。それなのに附属校推薦でなくAO入試(現・総合型選抜試験)で合格をいただきました。今考えると筆記試験の内容は面白かったし、面接ではキャラの濃い教授陣に圧倒されもしましたが漫画家になりたいと言った僕に合格をだしてくれたのは懐が深いなと思います。

作中の教授のモデルとなった奧野先生が作者を激励 
助手「奧野先生を慕う学生も多くて」
髙野さん「へえ…あの奥野さんを…!!?」
©髙野陽介/集英社 
ロン毛時代の奥野先生をイメージ

―大学での創作活動は充実していましたか?

入学当初は映画にさほど詳しくなかったけど、映画好きの同級生から映画の見方を学びました。その友人のベスト100の作品を見て、彼からの解説を聞く中で映画の面白さにも気づくことができました。

ただ漫画の方は苦しいことが多かったです。両親は「夢があるならそれに向かってとにかく動け」と言って応援してくれて、出版社に漫画を持ち込んだりもしたんですけど、デビューするキッカケを掴むことはできませんでした。成人式では地元の同級生から「まだお絵描き遊びしてるの?」なんて夢を否定されたこともありますし。

大学3年になって、親が子供の頃から夢を応援してくれていた分、ちゃんとしなきゃと思って就職活動を始めました。でも漫画家になりたい気持ちを封じての就職活動だったのでうまくいかなくて。面接で「漫画はもうやめるってこと?」と問われて、ハッキリとした返答すらできなかった。

「今までこんなに頑張ってきたのに自分は漫画家になれない」「踏ん切りつけて社会に順応することもできない」「何者にもなれない」…この時の苦しさを思い出すと今でも涙が出てきます。

©髙野陽介/集英社 
ジャンプルーキー賞ブロンズルーキー受賞作品『ライン』より

内定をもらえた頃、就活の経験を漫画にした応募作がジャンプルーキー賞を受賞しました。進路に迷うなか、担当についてくれた編集の方に「漫画家にならず、普通に働いても人は幸せになれるけど、それでも漫画家を目指しますか?」と、問われました。「そうだよな、漫画家にならなくても幸せになれるよな」と考えながら、帰宅してお風呂に入って寝て。それでも次の朝、やっぱり自分は漫画家になりたいと考えていた。その時の編集の方が『SPY×FAMILY』や『チェンソーマン』も輩出した現在の担当で、「漫画家になりたい」と宣言した途端、前述のとおりのスパルタだったんですけど、歯に衣着せぬ事実だけを述べて作品を伸ばしてくれました。そのおかげで連載が叶ったのだと思います。

―連載を果たして在学中の嫉妬心や劣等感は消えましたか?

前より強くなったと思います笑 ライバルも増えましたし。連載に至るまで結構時間もかかって。そんな時に息抜きで日藝時代の同級生と電話をして「あの時教授にこう言われた」なんて話で盛り上がった。その時、自分の経験を描こう、電話の向こうにいる彼が面白いと言ってくれる作品を描こうと思って、クニゲイが生まれました。

担当の方からも、もちろん沢山の人に読んでもらうことは目指すけど、まずは髙野陽介という漫画家を応援してくれる人を増やす作品にしようと言っていただいています。いつか自分が納得した作品をヒットさせて、「お絵描き遊び」と僕の夢を否定した人を許せた時に、劣等感が消えるのではないかと思っています。

でも「ライバルを戦友と言えるようになった」とインタビューで語っていたのは、たしか『ONE PIECE』の尾田栄一郎先生だった気がしてて。そう考えると、世界で5億部以上売れるくらいにならないと嫉妬や劣等感は消えないのかもしれませんが…

学内施設の取材をする髙野さん

―最後に在学生や日藝を志望する方々にメッセージをお願いします

とにかく自分を信じてやり続けて欲しいです。僕も教授に厳しいことを言われて落ち込んだこともあるけど、何を言われても創作を辞めなかったから今があるんだと思います。とよ田みのる先生の『これ描いて死ね』を読んで納得した理論ですが、漫画家志望者が10万人いたとすると、描かない人が9割、そこから賞を送らない人・もらえない人が9割、読み切りまでいけず諦める人が9割、読み切りから連載までいけない人がまた9割…と、その時点で10万人が10人になっている。続けているだけでライバルの方から勝手に消えていく。だからこそ夢をあきらめず挑戦し続けてほしいなと思います。

学科にサインもいただきました

ジャンプ+『クニゲイ〜大國大学藝術学部映画学科〜』

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371859967559971

ジャンプルーキー賞受賞作『ライン』

https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156636828661

映画学科
小山 正太(こやま しょうた)
日本大学芸術学部映画学科専任講師。1987年生。 2013年第25回フジテレビヤングシナリオ大賞で、大賞・佳作をW受賞。『ビター・ブラッド~最悪で最強の親子刑事~』『5→9~私に恋したお坊さん~』『日曜劇場ドラゴン桜』。映画『ニセコイ』など。2021年より日本大学芸術学部映画学科の専任講師に就任。
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