CAREER Model インタビュー企画 株式会社ボルテージ 100恋+ストーリー制作グループ 文芸学科卒業  多田夏美さんに聞いた「日藝」とは??

―当時を振り返り,日本大学芸術学部へ入学された動機など,教えてください。

はじめに、日藝のことも自分のことも大好きなので喋りすぎてしまうであろうことをお詫び申し上げます...幼い頃から「書くこと」は好きだったと思います。詩を一行書けば祖父がそれを壁一面に貼ってくれたこと、読書感想文で賞をもらったこと、ドッジボールが心底きらいで、いかに醜悪な遊びであるかブログに投稿したら学年中が笑ってくれたこと。そういう「認めてもらえた!」という積み重ねがあって。ただ中2の夏、ずっと生きる意味にしてしまっていた初恋が破れてからというもの「これからのこと」が本当に考えられなくなっていて、評定平均5の生徒会長というウソみたいな内申だったにも関わらず最後の面談の前日まで志望校が決まっていませんでした。「どこにもいきたくないし、なにもしたくない〜!」と泣きながらぶっ倒れた先にあったのが日藝のパンフレットで、いやいやパラパラめくっていたら「文芸学科」を見つけて。「ああ、書いて、読んでもらえるんだ」って、大学にはそういう専攻もあるんだ、ということをはじめて知って。すごく抽象的に、でもたしかに「ああここだ」と腑に落ちて受験を決めた記憶があります。

―学生時代はどのようなことを専門に学ばれていましたか。また,学生時代はどのようなことに打ち込まれていましたか。

広く浅く、なんかビュッフェみたいにご馳走のつまみ食いで学んだ4年間でした。日藝に惹かれたわけの一つに「他学科公開科目」をはじめ、文芸以外の分野に触れる機会がたっくさんありそうだというのがあって。書くことは自分にとってあくまで表現の手段のひとつで、興味はアート全般にあったので片っ端から履修しました。ストーリーひとつとっても文芸の授業だけではなく、映画の視点でシナリオを分解したり演劇の視点で戯曲を分析したりできる…興味本位で教職もとって。この選択肢の多様さは日藝ならではだと思いますよね。なんでも目指せる。特に広告には関心があったので、放送学科の授業は実習を含め意欲的にとっていました。ギリギリまで今の会社か、広告業界か迷っていたくらい。子役をやっていた時期があってお芝居もすきだったので1・2年次で所沢校舎に通っていた頃はサークルでそっちに打ち込んで(月曜から日曜日、退校時間までみっちり稽古してました…よく単位も取れたな)3年次で江古田校舎に通うようになってからはサークルを辞めて、いろんな実習に打ち込みました。でも、結局4年間でいちばん何に打ち込んでいたかといえば恋なんですけど…まあ、そんなかんじで全部打ち込み尽くしたと思います。

―学生時代に印象に残っている授業科目や課外活動はございましたか

打ち込みつくしたので、たくさんありますね…「芸術総合講座」という学科を跨いだ科目があって、私のときは芸術総合講座Ⅷが「夏休みの5日間をつかって東北新社で映像コンテンツのプロデュースを学ぶ」というものでした。
各分野のプロフェッショナルから現場でノウハウを学ぶことができたという経験は、いまでも印象深く残っています。オフレコ裏話てんこもり、鉄板のロケ弁までいただいたり、大人の方々の「こういう経験をさせてあげよう」という計らいが溢れでている素敵な科目でした。
関連記事「クリエイティブビジネスを夏休みにインターンシップで学ぶ

「文芸特殊講義Ⅶ」は「なんでもいいから本にまつわるプロジェクトを立ち上げ発信する」という授業で、photogenicと本をかけあわせた「#photogenibook」PJを立ち上げパシフィコ横浜にも登壇しました。その際かなり会場を沸かせてしまい…翌年、先生から「多田さん、芸術資料館でなんかおもしろいことできない?」と、お声がけいただき写真の企画展もさせていただいたり、ソコロワ山下清美先生のゼミにお世話になっていたので毎週「気心の知れた仲間たちと世間話しながらお茶会」みたいなゆる〜い時間もあって(ケーキやパンを焼いて持っていっていました笑)毎週噺家さんが生で落語を聞かせてくれる授業とか、弁護士の先生による著作権の授業とか…やっぱり打ち込み尽くしましたね。でも、いちばん思い出深い活動は、課外なのですが、志半ばでサークルを退部し、ふさぎ込んでいたとき友人が「三井住友デビューサポート」という大学生の夢を叶えるプロジェクトに「多田さんの脚本でミュージカルの自主公演を打ちたい」という夢を応募してくれていて…そこでグランプリをいただき一から公演を打ったことです。サークルを辞めてしまっていたので、役者を揃えるのにも一苦労で。学科の仲間、他学科の仲間、幼馴染や友だちの友だち…といろんな人が集まってくれて、なんとか夢を叶えることができました。このとき力を貸してくれたみんなは、本当に特別でかけがえのない存在で、いまでも定期的に呼びだしては当時のテンションで遊びたおしています。

パシフィコ横浜でおこなわれた図書館総合展だいすきな先輩と、ボケたりつっこんだり、掛け合いの漫談プレゼンでぶち上がりました。先生から、終わった瞬間「最高だよ!!!完璧完璧!5分ぴったり!」とメッセージが(翌年も駆りだされました)

写真の企画展芸術資料館ってじつは学内の資産の展示やプロの方を招いての企画が主で、在学中に、ひとりでここを使わせてもらえた学生ってなかなかいないんじゃないかとおもいます。光栄
三井住友デビューサポートグランプリ書類選考・面接・プレゼンなどの選考がありました(選考をたのしみすぎて終始緊張感0、この日もわたしたちだけ「私服可」を信じきった勝負服で浮いてます)国際フォーラムでスポットライトの光をあびてグランプリを告げられた瞬間はいまでもわすれられないです(軽食片手に呑気にワインを飲んでいました)

実際におこなった公演ぜんぶが拙くて荒削りで、でも「思い出したくない思い出にはしない」ということだけは心に誓った春でした

―日藝に入る前のイメージと,入学後,卒業後のイメージにギャップはありましたか。

だいぶふわっとした動機で入学してしまったので、あまり「入る前のイメージ」ってなかったです。が…「大学」というものに関しては、まあひどい偏見があって誰とも仲良くなれないと思い込んでいましたから、心をひらけるような友人や、本気で打ち込める楽しい授業や好きだと思える人とあっというまに出会えたことは、たいへん幸福な誤算でした。あと所沢校舎が、じつは所沢駅になかった(東所沢駅か航空公園駅からバス)こととか。

―学生時代に抱いていた「こうなりたい,こんなことをしたい」という「夢」について教えてください。

夢というほど大層なものではありませんが「越えなきゃいけない夜に寄り添える」ような人であり、そんななにかを書きたいと思い続けてきた気がしています。生きていると、どうしてもやる瀬なくてどうしようもないような夜があって、わたしはそんな夜に人や創作物に助けられてきたし、だいじな人のそんな夜に無力ではいたくなくて。わたしはわたしにできる方法で、そしてたぶんそれは「書く」という手段で、叶えていくんだろうなと。名を残したいと思えるほどの熱や力は持てなかったけど、せめて今夜どこかの誰かにとってわたしやわたしの書いたものが「一過性のしあわせ」であれれば、それ以上のしあわせはないと思っています。

―現在のお仕事に就かれた理由や動機などを教えてください。

たぶん日藝ではマイノリティだと思うのですが、進路は4年間ブレずに「就職希望」でした。褒められるのが好きだったからかな…組織に所属して人と仕事をしたいという希望がずっとありました。やっぱり、なにかを表現している瞬間がいちばん楽しかったので次に「クリエイティブな職につきたい」という希望があって、じゃあ具体的にどんな仕事?と考えたときに「これまで実際に自分が触れて感動したことのあるコンテンツに携わりたい」に至り、いちばんに浮かんだのが今の会社でした。不毛な恋にのめり込んで毎晩泣いていたような頃(って、当時小学生なんですけど)に寄り添ってくれたのがボルテージのゲームで、廣瀬遼一というキャラクターが未だにわたしの「史上最高の男」で、わたしも誰かにとってそんなキャラクターや物語がつくれたらしあわせだなと思って。即決。ストレートで最速合格したので他社は受けていません。オーダーメイドでスーツ仕立てたりプロに証明写真撮ってもらったり、超そなえていたんですけど…いや、もちろんうれしい話なんですけど。

―現在のお仕事の内容ややりがい,こんな形で社会とつながっている,といった紹介をお願いします。

おもに、女性向けスマートフォンアプリのストーリーを制作しています。恋愛ゲームと呼ばれるやつです。事業が多岐にわたるのでシチュエーションCDやマンガなどの作品に携わることも。プロットを書かせてもらえるので、自分でお話をつくることができるのはやっぱりうれしいです。アーティストと異なり「売る」ところまでが仕事なので、告知画像のデザインや配信戦略も考えます。100を超えるタイトルと数えきれないほどのキャラクターを抱えている会社なので、既存タイトルの制作が主ですが、新しいキャラクターをつくることも、企画を一から立ち上げる機会もあります。「わたしが生み落とした!」といえるようなキャラやお話が世の中に出ていく瞬間は、やはり大きなやりがいを感じますし、それほどの規模の仕事をこの年次で任せていただいていることも幸せです。そして、月並みですがユーザーさんの反応がやっぱりなにより嬉しいですよね。本当にたくさんの人に届くので…楽しんでくれたり、楽しみにしてくれたりしてくださっている姿を見て、純粋にはしゃいだり「よしよし、ねらい通りの反応だ」と、にやにやしたり。基本的にはそうやって、その一瞬を楽しんでいただければ十分嬉しいのですが、ある時わたしが立ち上げた企画の歳下男子に「私は彼に出会うために大人になったのかもしれない」というレビューを残してくださった方がいて。こういった熱量のレスポンスと出会うと、だれかの人生に影響できている気がして、ちゃんと一過性のしあわせを…もしかしたら、それ以上のものをつくりだせている気がして、しあわせです。ほんとうに。「恋」を「書く」仕事。たぶん、わたしはこの会社に入社するためにうまれてきたんじゃないかな、と思っています。大袈裟だけど、わりとほんきで。

ちょっと背筋がのびちゃう恵比寿ガーデンプレイス 学生時代アルバイトしていたほどすきな東京タワーがみえるいとしのオフィスです

―現在のお仕事で「日藝」時代の学びや経験から得られた能力などがあれば教えてください。

いろんな角度から「ものづくり」を吸収していろんな表現でアウトプットを繰り返せた4年間だったので、ものづくりの手法はもはや技術としてではなく「ここでこうするとおもしろいんだよね」「これってみんな好きだよね」というような勘として身についています。これは確実に制作物のクオリティを底上げし制作スピードを爆速にしてくれているので、日藝と己に感謝する日々です。あとは、いろいろな人と関わることの大切さとか関わり方とか。極度の人見知りなのですが、いろいろ挑戦する上で年代・職業問わず様々な方と関わらざるを得なかったので…ここで、かわいがられる方法とか要求を通す方法とか甘え方とか、だいじなことを学んだ気がします。

―現在のお仕事を進める中で日藝を出て,良かったと感じるエピソードなど,ございましたら紹介ください。

外部のクリエイターさんと密接にやりとりしていくお仕事なので、会社員でありながらクリエイターの立場にも立てることは良好なパートナーシップを築く上で役立っています。幸いなことに「この人となら」と両思いでいられるようなパートナーに恵まれ充実した日々です。あとこれはただの偶然なのですが、いま担当しているタイトルが広告代理店を舞台にしていて、予期せぬかたちで放送の授業で得た業界の知識が遺憾なく発揮されることに。就職のとき悩んだもうひとつの道に実は片足を突っこめていて、すこし運命めいたものを感じています。

―これから受験を考えている高校生に,日藝をお勧めする(としたら)一言をお願いします。

いろんな人がいて、いろんな場所があって、あなたの居場所が必ずみつかる。もしなかったら自分でつくれる、それが日藝です。もう何になりたいか決まっている人も、泣いちゃうくらい何にもなりたくない人も、あなたはいまなんとなーく日藝を「いいかも」と思っているところで、その勘はきっと間違っていない。はず。大学なんて行きたくなかったわたしは、最終的に学園祭に参加しなかった年が一度もないほどたのしみ尽くしました。やけになってなりたくもないのに「薬科大学にいって薬剤師になる」とわめいていた高校生の自分に水とかかけちゃいたいです。で、日藝をみつけてくれてありがとうって抱きしめてあげたい。あなたも、心の望む場所であなたらしく輝けますように。

いまは「胸キュンを充電できる読み物アプリ」100シーンの恋+で、たくさんのときめきをお届けできるようストーリーを制作しています…♡

画像クリックでアプリへ
文芸学科 2020年卒業
多田夏美(タダナツミ)
株式会社ボルテージ 100恋+ストーリー制作グループ所属/学校推薦型選抜(公募制)
OTHER TAGS