メディアとしての文芸

とるに足らない人間の心理を克明に記録することなど、近世までの人々はあまり興味を抱かなかった。凡夫の業績が記述される場合は、その愚行を教訓として記述する説話などであり、実在の人物であれ、想像上の人物であれ、傑出した人物や、あるいは異常な事件を引き起こした人物たちこそ、人々は物語の主人公にふさわしいものと考えた。近松の世話物などは心中する男女の心理描写が見せ場なのだから、人間の内面を炙り出したと言えるが、『曽根崎心中』の結びに「未来成仏疑ひなきの恋の手本となりにけり」とあるように、これは一種のヒロイズムだったと言えなくもない。

ところが近代に入り、樋口一葉の『たけくらべ』に見られるような、市井の人々の内面が俄にクローズアップされることになる。いわゆる「告白」の体を有する心理描写が登場するのである。劇場では大勢の観衆audienceが一私人の秘められた内面をのぞき込み、同情し、あるいは断罪する。もちろんこれは、小説でも同じで、読者は人間の心をのぞき見る人になったのである。

江戸の噺は、幾つかのタイプに類型化されて、若旦那とかご隠居、八っつあん、熊さん、与太郎などとよんでいればよく、若旦那Aと若旦那Bの間に個性の違いはなかった。これは江戸の町内が向こう三軒両隣のコミュニティーを有していて、個人が真の孤独を知らなかったからなのかどうかはわからない。

いずれにしても維新後の西洋文明との遭遇以来、急速に「ほかの誰でもない私」という近代的自我が出現するのである。近代的自我の出現を、輸入された西洋文学の影響と見るべきか、それとも江戸時代の人である上田秋成(『雨月物語』『春雨物語』など)に散見されるような精神的変容が徐々に進行していたと見るべきか議論の分かれるところであろう。

もっとも、『源氏物語』のような本格小説が11世紀に存在していた以上、個我の意識の発生は時代に縛られるものではもちろんない。それはともかく、多くの人々が個人の生に特別の価値を見いだし、傑出したものへの憧憬ではなく、個人の生に(一種の自己愛として)偏執するようになったのは近代からのことだろう。

では、一体そうした変化がなぜ起きたのか。私の基本的な立場は、媒介装置よりも以前に、媒介思想の変化が、実質的なmediaである民衆・大衆のなかに起きることがその原因だという考えである。明治維新は西洋文明と思想を急激に日本にもたらしたが、それは同時に265年も続いた幕藩体制が解消されてしまったことを意味している。

強力な規範的圧力を民衆の上に加えていた権威が瓦解して、身分制度改廃、苗字の必称、生活様式の西洋化など、人々の生活は文字通り激変する。重層的で間接的な統治体制が崩れ、国家が法によって直接管理するという近代式統治に変わったのである。人々は藩やその下の郷村などの組織のなかで存立するというあり方を失い、法の支配の下で個々に存立するというあり方に移行したのである。

連座性というものがある社会で人は個として存在するのではなく、群れとして把握されている。そうした、制度から解放されただけでも、個々人の心性の変化は著しいものがあるだろう。江戸時代は要するに独裁国家で、当然人権という概念は存在せず、身分制や、階層的社会構造によって、自由の制約が甚だしい。しかし、社会秩序が高度に維持されている限り、人々はそうした生存への懐疑を抱くことなく順応して生きていたし、実は権力による抑圧は思いのほか外面的な支配なのだが、これについては後に触れる。

ところが、ひとたび別の生存可能性が生じると、制度に順応することで得られていた存在基盤が揺らぎ、自己存在への懐疑が芽生えるのである。樋口一葉の『たけくらべ』が発表されたのは1895年(明治28年)であるが、維新後30年ほど後の時代を生きる人々の意識には、古い規範に従って生きる個人の懐疑が哀切に描き出されている。遊女屋で育った美登里と寺の息子真如とが青年への入り口で自由の灯火を吹き消して生きねばならぬお互いの定めを見つめている。『たけくらべ』のような近代の意識は、中世の始まりと同様、前時代の社会的秩序の崩壊によってもたらされたものと言ってよいだろう。

西洋における近代的自我の登場はモンテーニュの『エセー』やデカルトの『方法序説』などに顕著に記されたとされる。その理由は、近代的自我が「懐疑」とともに呼び覚まされるものだからである。懐疑こそ近代的自我の母である。だから、私たちは樋口一葉の文学に前時代にはなかった新しい何かを感得するのだろう。さらに鷗外や漱石といった巨匠たちの登場によって揺るぎないものとなった近代文学の潮流は、人々の「懐疑」に大きな影響を与えたことは論を俟たない。しかしながら、近代の精神史的な潮流も、日本という社会の進むべき道を導いたということではないだろう。

私はここでは敢えて限定的に社会の潮流となる民衆の心性が、いかに形成され、変化してゆくのかという視点でのみ考えを進めている。この場合、文学は新しい時代の擬似カテゴリーを検出する指標とはなっても、T・E・ヒュームの言う擬似カテゴリー、つまりコンテンポラリーな「満足」を形成する思想を作り出すものではないと言わねばならないだろう。

建前に従えば、近代は社会のmedium(media=中間者)のための社会となったはずであるが(もっとも日本において主権在民が憲法で確立されたのは『日本国憲法』公布の1947年5月3日以降である)、このmedium(media=中間者)は相次ぐ侵略や戦争への道を防ぐことはできなかった。むしろ、medium(中間者)はプロパガンダによる情報操作のなかで、事実を認識することなく独裁政治の方針を追随する潮流であり続けた。

歴史の主体であるはずのmedium(中間者)は、しかし決して政治的な意思の主導者ではない。歴史の偶然や、はたまた必然によって作り出された物=道具=装置によって翻弄され、権力や財力によって支配され続けてきたmedium(中間者)とは一体何なのか。mediaの問題は、こうした問いを突きつけてくる。mediaの最も広範な意味において考える場合、それは人、物、文化、あるいは動物、植物などありとあらゆるものがmedia=medium(媒介者)でないとは言えない。

権力者が国民と国民の間に介在することによって戦争が起きたと考えれば、権力者は国民にとっての忌まわしきmedia=medium(媒介者)である。船舶や自動車の発明が社会全体を変えたことも小さなできごとではないし、馬や牛のように運搬の手段であっただけではなく、動物や昆虫は病原体の運搬者=media=medium(媒介者)となって世界を変えたとも言える。ごく一般的な見方でのmediaとして通信手段があるが、大きく社会を変えた媒介者という視点で眺めれば、それは媒介作用を有する事物のうちのほんの一部分でしかないのである。

このように振り返って、改めて文学のmediaとしての存在意義を問い直すと、それは社会が規範意識の圧力によって隠蔽しようとする生の実像を表現し、それを共有し得る手段として存在する意味があるのではないか。現実社会が容認しない思想や行為を、文学は虚構性のなかに描き出すが、それは人間の隠された真実であるという公然の秘密を人間社会は共有しているのである。

近世までは、文学が描き出したいかなる行為も現実的に許容されないことではなかった。なぜなら人権という強烈な制約が存在しなかったし、どんな残忍や放埒も権力者には許容されていたからである。しかし、近代になり人間は「人間らしく」振る舞わなければならなくなった。人間というものが、一定の定義を有する思想になった時、それまでは公然と認められていた治外法や特権的存在は否定され、法は人間の外面だけではなく、内面までも裁くようになったのである。人は心の中までも正しい社会人でなければならなくなったが、それは実際の人間(歴史的事実と照らし合わせた時の)とかけ離れたものだった。それは社会的な理想ではあっても、私的存在の理想ではなかった。西洋人は社会(社交)の虚偽性というものをよく理解していたが、長らく共通の「人間」という概念を知らなかった日本人は、社会の虚偽性という観念も理解できなかった。

近世までの社会は差別や階層が社会制度のなかに組み込まれており、階層を上り詰めた先には完全な特権と自由、つまり「非人間性」があった。こうした社会においては「人間」という共通の思想は存在し得ない。町民と将軍が同じ「人間」などと誰も考えなかったのだ。
人間は多くの人々が何となく考えているほどいつでも「人間」だったわけではない。

私は初めに近代文学を近代的自我の出現という側面から論じたが、近代的自我とはあるいは人権とか人格といかいう思想が芽生え始めた社会のなかで、私たちの意識が直感的に抱いた「人権」や「人格」という新しい発想に対する懐疑そのものだったのかもしれないが、これについてはまた別のところで考えたいと思う。

西洋人は社会が人々の妥協の産物であることを知っている。近代国家を理想化するためにヘーゲルが論じた法の理念を国家が採用したとしても、すべての人が大まじめにそれを信じているわけではない。「国家が自由の現実的な姿である」と言ったヘーゲルの言葉はたしかに(現実的には)そのとおりかもしれないが、人々はそれを理想的な姿だと考えているわけではあるまい。近代国家が自由の理想像だというならば、最も成功した近代国家と言えるアメリカ合衆国のなかで、なぜアメリカンドリームを追い求めなければならないのか。アメリカンドリームとは実質的には社会的成功によって特権階級となり、さまざまな社会的規範から自由になることであろう。

「人間」という美名のもとに多くを隠蔽しようとする近代社会の欺瞞は、鋭敏な感性を宿す新しい時代の人々の内省のなかに次々にとらえられていったのである。近代文学が告白である根本的な理由は、それが「人間」を押し付ける社会のなかで人々が語る本心であり、懺悔であり、語り得ぬ行いを語るものだからなのである。そして社会は社会自身が内包する虚偽的性格の自認から、文学や芸術という表現の特区を残しておいたのだとも言える。文学は近代に入ってますますアンチ社会のmediaであり、直接人々の内面まで裁こうとする法に抗して、法以前の人の心を反芻しようとする試みなのではあるまいか。

文芸学科
上田 薫
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