ドキュメンタリー

 ドキュメンタリーは映像の用語ですが、演劇界でも「ドキュメンタリー演劇」と呼ばれるジャンルがあります。その中心にあるのは、イギリスを代表する劇作家であるデビッド・ヘアが1990年代以降発表した、Verbatim Theatreの作品群でしょう。これは報告劇、記録劇とも訳されます。作家が事件や事故を取材し、場合によっては作家役も登場して、取材の過程なども含めて舞台化するものです。

 一方で、「演劇」はそもそもドキュメンタリー性を持っています。例えば、私がシェイクスピア作『ハムレット』のタイトルロールを演じるとします。そこには常に、2つのドラマがあります。それは、

① ハムレットというドラマ

② 俳優がハムレットを演じているドラマ

です。私たちは通常、この2つを同時に観ています。

 一般に、プロは①で、アマチュアが②と考えるかもしれません。しかし、そうでもないでしょう。著名な俳優が演じても②の部分は当然気になります。そこで、その俳優が台詞を忘れれば、観客は儲けた気分になるでしょう。そこにハムレットではない俳優の今が垣間見られたわけですから。私がハムレットを演じれば、観客側の興味は、シェイクスピアのハムレットよりも、藤崎周平の方にあるのはいうまでもありません。それでは、どっちの『ハムレット』が面白いのかというと、意外に、いい勝負かもしれない。②も結構いけると思います。なにしろ「To be or not to be, that is the question」がテーマともいえる作品ですから。

 そこには『ハムレット』という虚構と、ハムレット役を担当する俳優が今、ここで演じている現実(ドキュメンタリー)との両面があって、観客はその両方を受け取っているのです。

 つまり、常に、「虚構としてのドラマ」と、「現実のドラマ」が、互いに影響を受けながら並行していると考えられるのではないでしょうか。それこそが、観劇の醍醐味なのかもしれません。

【演技論】

演劇学科
藤崎周平
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