―当時を振り返り,日本大学芸術学部へ入学された動機など,教えてください。
近所に住んでいたというのに加えて、高校生時代からの知人で現在映画系ライターをやっている方が当時日藝に通っていたため、身近な存在だったというのが動機だったと思います。また、美術系の大学で都内にキャンパスを持っているというのは魅力のひとつでした。
―学生時代はどのようなことを専門に学ばれていましたか。また,学生時代はどのようなことに打ち込まれていましたか。
学部時代は美術学科の絵画コースに在籍していました。作品制作はもちろん、教授の紹介で「引込線」という所沢のアートプロジェクトのアシスタントをさせてもらったり、他学科の友人たちと美術史に関する読書会を定期的に開催したりなど、コースの垣根を超えて色々な教授、講師、学生とコミュニケーションをとっていました。
―学生時代に印象に残っている授業科目や課外活動などはございましたか。
西洋美術史の研究をされている髙橋幸次先生や、日本美術史の研究をされている大熊敏之先生の講義で配布されたレジュメは今でも参照します。また岩本憲児先生、村山匡一郎先生、渡邉大輔先生の映画史に関する講義は、映像作品を鑑賞する上での良き水先案内人になっています。
―日藝に入る前のイメージと,入学後,卒業後のイメージにギャップはありましたか。
大きな変化はありません。ただ、さまざまな出会いを通して大学というコミュニケーションのハブがあることは、人生においてとても大切なことだと気付かされる場面が多いです。
―学生時代に抱いていた「こうなりたい,こんなことをしたい」という「夢」について教えてください。
美術関係の仕事をしながら制作を続けるためには何が必要か?を考えていました。こうして今もアート業界に関われていることを誇りに思っています。
―現在のお仕事に就かれた理由や動機などを教えてください。
大学院時代、寺田倉庫のギャラリースタッフのアルバイトに応募したのがきっかけです。その後、同社を離れて銀座の画廊に勤めていたのですが、当時のPIGMENT TOKYOの館長とアートディレクターに「戻ってこないか」と声をかけてもらい、また同社で働き始めました。
―現在のお仕事の内容ややりがい,こんな形で社会とつながっている,といった紹介をお願いします。
寺田倉庫株式会社は「モノだけではなく、価値をお預かりする」という理念を掲げています。
アートは社会活動と関係が希薄なものと思われがちですが、PIGMENT TOKYOでの活動を通して社会とアートの良い関係性を創造するお手伝いをしたいと思っています。
―現在のお仕事で「日藝」時代の学びや経験から得られた能力などがあれば教えてください。
学部から大学院を通して、批評雑誌を作るサークルに所属していました。
その時に得た技術的な知見やメンバーのマネージメントに関する経験は、今でも役にたっています。
―現在のお仕事を進める中で日藝を出て,良かったと感じるエピソードなど,ございましたら紹介ください。
今でも日藝の先生や講師の方がお客様としてPIGMENT TOKYOにいらっしゃることです。
今回のインタビューもそれがきっかけでお受けすることになりました。これからも、こうした出会いは大切にしたいと思っています。
―これから受験を考えている高校生に,日藝をお勧めする(としたら)一言をお願いします。
池袋モンパルナスの文化圏が生まれた池袋周辺の中でも、江古田にはライブハウスや書店などが点在しています。
また近隣には練馬美術館、池袋演芸場、ジュンク堂などがあり、日藝は文化的に恵まれたエリアに立しています。こうした場所でしか得られない学び、文化の交差、歴史をぜひ体験してみてください。
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