演劇の世界では、「シナリオ」でなくて「戯曲」なのです。
シナリオと戯曲は似て非なるもの。
その違いは、「それだけで独立した作品になりうるかどうか?」です。
戯曲はそれ自体が完成した文学作品ですから、読みものとして愛好する読者もおります。
と同時に、戯曲は演劇作品へのスタート地点。演劇に関わるあらゆるセクションは、例外なく戯曲から出発します。戯曲は、演奏家にとっての楽譜、大工にとっての設計図、船乗りにとっての海図。
しかしこれ、読むのも書くのも骨が折れますね。
だいたい台詞しか書いていないんだから、何が起こっているのかイマイチつかめない。
たとえば、
「動物園に行ってきたんです。」
とだけ言われても、「それがどうした」としか思えません、普通は。
この短い台詞が、孤独に苛まれている男が誰かとのつながりを強烈に欲してついに吐き出した魂の叫びだなんて、そんなこと言われてもよくわからない。
演奏家は、音楽の勉強をしているからこそ楽譜が読める。
大工は、建築の勉強をしているからこそ設計図が読める。
演劇の勉強をすると、戯曲が読めるようになるのです!
ひとたび戯曲が「読める」ようになると、立ちどころに物語が浮かび上がってくる。ぼんやりと眺めていた星々が突如として星座を形作り、神話が動き出すみたいに。
演劇学科では、戯曲の読み方を徹底的に勉強します。5人くらいのグループになって、戯曲を声に出して読む。ときどき読む役を交代したりして、教室はガヤガヤと賑わしい。
自分で書いたシナリオや戯曲を、他者に読んでもらうこともあります。
声に出して読んでみると、書き手は「ここは、こうしよう」、読み手は「これも、アリなんじゃないか」とわかる。これは実に幸せな環境なんです。
相手の台詞をよく聞いていると、「あれ?」「おや?」「なんか・・・」と、違和感が脳裏をよぎります。改めてそのことを話し合ってみると、「ええっー?そんなふうに読んでんの!?」という発見や閃き、あるいは食い違いが明るみになる。グループの話し合いはさらに熱を帯びていきます。これこれ、これが「戯曲を読む」ということなんだ。
戯曲はひとりで黙読するものではなく、だれかと声に出して分かち合うものです。
まるで「愛」みたいだね。
関連する授業:戯曲講読演習 劇作演習 劇作実習Ⅰ〜Ⅲ
記事一覧へ