Difficulties of love?

国境を越えて、言葉を超えて、人々が自由にあてどなく行き交う時代。そのなかで、私たちは誰かと出会い、おたがいを知り、恋に落ちたり、相手をわかりたいと思ったりします。だけど、ちがう誰かのことを本当に理解したり、愛したりすることは可能なのでしょうか。特に、私とあなたがまったくちがうものを見て育ち、同じものを見てもぜんぜん別のことを考えていたりするとしたら?私はなにが欲しいのでしょう?あなたはなにを見ているのでしょう?あなたが見ているものを、私はわかることができるの?

ちがう国、ちがう文化、ちがう言葉で書かれた物語に出会い、このような思いを強烈に感じることがあります。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「なにかが首のまわりに」では、ナイジェリアからアメリカに移住した女の子と、彼女が出会ったアメリカ人の男の子、二人の恋愛と、彼らがおたがいを必要としているのにどうしても理解できないものを抱えていることが、淡々と、誠実に語られます。それから、カズオ・イシグロの「老歌手」。長年連れ添ったアメリカ人夫婦は、ヴェネツィアの美しい夜、静かに別れを迎えます。それを見つめる異邦人の「ぼく」には、二人は完ぺきな夫婦に見えるのに。

 私があなたを知ることは、どうしたってできないのかもしれません。だけど、あなたと私がちがうものを抱えていることを知るためには、私たちには言葉が必要なのです。人々が移動し、さまざまな出会いが生まれる時代。私たちには、もっといろんな言葉が必要になるのでしょう。

芸術教養課程
松浦 恵美
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