「スタイル」を探す旅に出よう!

「スタイル(style)」という英語をご存じでしょうか?フランス語にも同じ綴りで「スティル(style)」と読む単語があります。発音は違いますが、いずれも「様式」や「言葉づかい」、「文体」といった意味をもっています。皆さんのなかには、将来、アーティストやクリエイターとして活躍することを夢見ている人もいるでしょう。そして、皆さんが憧れるような偉大な“作家”たちは、それぞれ独自の「スタイル」をもっているといっていいかもしれません。その意味で、スタイルは、さまざまな芸術分野で活躍する作家たちの個性(コセイ)に等しいといえるでしょう。しかし、彼らのコセイ的なスタイルはゼロから生まれるものでしょうか?たしかに、世の中にはまれに天才的な人がいて、他人から大した影響も受けずに、独創的な仕事をこなしてしまうことがあります。その一方で、自分のスタイルを作り上げるために一生を通じて格闘し続ける作家たちがいるのも事実です。なぜ、独自のスタイルを確立することは難しいのでしょうか?それは、本当にコセイ的なものが、今すぐ・ここで容易に見つかるわけではないからです。そのため、探究心の豊かな作家たちは、あらゆる表現の可能性を探りつつ、自らのスタイルを鍛錬しようと模索します。このことは、外国語学習の苦労や喜びと相通ずるものがあります。というのも、新しい言語を習得することは、新しい自分を手に入れることにほかならないのですから。

外国語を学ぶときに、わたしたちが悪戦苦闘するのは、未知の表現手段や思考をわがものにしようとモガくからです。けれども、ひとたび、外国語でコミュニケーションができるようになると、自分を表現するための新しいスタイルを手に入れることができます。そして、それまで知らなかった価値観や世界観を生きることも可能になります。つまり、外国語学習は、言語の運用能力だけでなく、自分という殻の〈外〉に出る方法・思考を教えてくれるのです。そのことは、作家がさまざまなスタイルの作品に触れながら、固有の作風を確立していくプロセスと深くかかわっています。自分たちの文化に非常にプライドをもっているように見えるフランス人だって、新しいスタイルの可能性を〈外〉に求めてきました。モリエールの戯曲はイタリア喜劇なしに語れませんし、モネやマネの絵画は日本の浮世絵から大きな影響を受けています。ドイツにフッサールやハイデガーがいなければ、サルトルやデリダの思想も存在しなかったでしょう。シュルレアリストたちは、アフリカやオセアニアの習俗から刺激を受けましたし、トリュフォーはヒッチコックを尊敬してやみませんでした。洋の東西を問わず、偉大な作家たちの多くは、まだ見ぬスタイルに憧れて、また、自分自身のスタイルを見つけるために、〈外〉の世界へと漕ぎ出したのです。そうすることによってこそ、彼らは、本当の意味でコセイ的なものを問うことができたのではないでしょうか。

芸術や文化はもちろんのこと、生活習慣やユーモアのセンス、あるいは言葉づかいや身体の使い方に至るまで、世界はあらゆる「スタイル」であふれています。外国語科目・芸術教養科目の目的の一つは、言語教育を通して、あるいは芸術・文化に関する講義を通して、さまざまな地域・時代に散らばる「スタイル」の宝庫にアクセスする技術を提供することです。この〈外〉の世界(それは文字どおりの“ガイコク”でなくてもよいのです)に、作品制作の豊かなインスピレーションが眠っているとしたら、未来の作家がそれを活用しない手はないでしょう。井の中の蛙の、表面的で薄っぺらなコセイではなく、広大な地平で輝く、スケールの大きなコセイを探してみませんか?そもそも大学は終着点ではなく、広い海に漕ぎ出すための出発点でしかありません。皆さんの旅は、大学を卒業してからも(あるいは、そのあとにこそ)延々と続いていくはずです。日芸という“港”から出発して、自分の「スタイル」を探す、果てしない旅へと漕ぎ出しましょう!

科目 : 外国語、芸術特殊研究

芸術教養課程
齋藤 山人
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