作家とは、世の中に響く作品を適切なタイミングで提供できる人

写真作家としても活躍の場を広げている鈴木麻弓さん。ヨーロッパのダミーブックアワード等で数々受賞し、評価を受けています。 2020年新進作家「あしたのひかり」(東京都写真美術館)、2022年春には京都国際写真祭にも選出されました。

写真学科の鈴木麻弓先生は写真作家としても活躍しており、2022年春に京都国際写真祭KYOTOGRAPHIEにおいて「10/10現代日本女性写真家たちの祭典」にも選出され、新作である「豊穣」を展示していました。その鈴木先生に今回は「写真作家」になったきっかけ、アーティストになるためのアドバイスを聞いてみました。

質問テーマ
【写真作家になったきっかけ】
 日芸の写真学科を2001年に卒業した後は、地元のファッション誌の撮影をきっかけにフリーランスのカメラマンとして仕事を始めました。
作家になりたいと、ぼんやり学生時代に思ったこともありましたが、何をどうやれば作家になれるのか?その方法を教えてくれる人がいませんでした。というよりも、自分で作家になる夢をきちんと描けなかったことが問題でした。
 2011年東日本大震災で、故郷である宮城県女川町(おながわ)が壊滅的被害を受け、両親も行方不明になりました。私自身は神奈川県で暮らしているので直接被害に遭ってないものの、家族を失ったことには変わりません。
父の仕事を引き継ぎ、小学校の卒業アルバムのための撮影を開始し、街の様子や近所の人々の避難所での様子などを撮影し始めました。震災から2ヵ月しか経っていない5月、ニューヨークで写真展示するチャンスをいただき、渡米しました。
 とにかく「伝えなくては・・・」という必死な思いがあり、自分が目にしてきた被災の様子、父がしてきた写真館の仕事と故郷の人々との関わりなどを展示しました。
会場に来てくれた人々が涙を流しているのが印象的でした。奇しくも9.11から10年を迎える年でしたので、東北でのできごとを自分たちと重ねていたのかもしれません。
知らない国の、知らない人たちと共有できる何かを提案し、心を通わせることがアーティストの役割だと、私は初めて理解しました。
これが私の作家としての第一歩で、この震災の強烈なできごとが私の写真作家としての動機につながっています。

震災後の写真館の様子。何度も女川へ戻り、故郷の人たちのために何ができるのか模索していたそうです。
東日本大震災の翌月、自身の母校でもある女川第一小学校で行われた入学式。亡き父に代わり撮影に向かったそうです。子どもたちの笑顔は被災地での明るい希望であり、辛い時期の鈴木さんにとって写真家としてのアイデンティティを示してくれる存在となりました。

【学生へのアドバイス】
 どの時代でも「私は作家です!」と言い切ってしまえば、あなたは作家です(笑)。
それで収入を得ているかどうかは理想ではありますが、いくつもの肩書きをもつ現代において、そんなに重要ではないと思います。
大事なのは「世の中にリーチできる作品を適切なタイミングで提供できるかどうか」だと思っています。
 ヨーロッパの学生に講演する機会もありますが、社会問題に対して敏感にとらえ、自分たちの作品に反映させているのがほとんどです。
日本の学生は反応が薄いというか、作品に反映されていないことが多いなと感じています。どうしても私的でとどまり、詩的に表現する作品が多く、だからといってアイデンティティを深掘りするところまでに至っていないうえ、社会と共有できていないのが残念です。
どんなささやかな事項であっても、心を動かされる何か(感動したできごとだけでなく、腹立たしい事件も含め)を検証し、自分の視点を探し、それを伝えるためにどんな方法や手法があるのか、どうすれば人に伝わるのか、を深く考察してほしいなと思います。作品がすぐに社会の問題解決になるわけではありませんが、そのきっかけを世の中に投げかけなかったら、何も変わりません。
そもそもアートは「世の中をもっと良くしたい」というところが根元にあります。得意分野を追求するだけではなく、幅広く社会に関心をもつことが作家への第一歩ではないでしょうか。

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写真学科
鈴木麻弓
1977年宮城県女川町生まれ。ヴィジュアルストーリーテラーとして、個人的な物語を通し、作品を生み出している。2017年『The Restoration Will』で、Photobooxグランプリ受賞(イタリア)、 2018年PHOTO ESPAÑA国際部門・年間ベスト写真集賞(スペイン)など、欧州の写真アワードで大きく評価された。主な展示に「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」(東京都写真美術館 2020)などがある。手製の写真集づくり、インスタレーション展示などを得意としている。
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