アイドルは、挑戦と変化による承認のプラットフォーム〜3~

 アイドルに関する研究は、近年やや減少してきた感があるが、現在はアイドルの活動場面におけるファンの行動を参考にして、新たな消費者行動などを考えようと言う観点も増加してきたので、アイドル現象の分析は多方面で需要のあるものともなっている。

 しかし、これまでに行われた分析がいかされた上で研究が行われているかという点では疑問符がつく。この論考の〜1〜では、「推し活」と呼ばれる現象が現代社会のメディア状況の中で新たに生まれたものではなく、これまでの日本文化の歴史の中に連綿と引き継がれてきた何かであることを指摘した。また〜2〜では、アイドルは成長を見守るものではなく、現実とは異なる時間軸の中で、常に挑戦し変化する存在であることを指摘した。本稿ではこれらをふまえて考えてみたい。

※放送学科研究誌「放送と表現 2025.Vol.28」より抜粋し加筆修正を行ったものです。

アイドルグループが提供してくれるもの

 ではアイドルたちはファンになにを与えてくれるのか、その分析や解説も2010年代以降には非常に多くなされてきた。疑似恋愛ではないのか、不況の時の閉塞感に応えているのではないか、参加障壁の低いイベントの魅力なのではないか、などなどである。

 姫乃(2017)の分析によればアイドルのファンたちは、そうでない人との差異があるわけではない。強いて言えば自己肯定感が強いくらいではないかと指摘している。現在では少なくなったが10年ほど前まではアイドルファンに対して、特殊な存在であるとする見方はどこでも強かったのだが、実はそうした分析で言われるような特殊性などはない(この状況も90年代以降あまり変わっていないかもしれない)。

 筆者は長年、アイドルファンたちの声を聞いてきたが、社会構造的な何かや社会機能の特殊性に気づいたことは姫乃が指摘するように、確かにない。

 ファンの声で多かったのは「ここにいると楽しいんです」「やっぱり来ちゃうな、ってなるところだ」「だって、みんないるし」というもの。理由を具体的に言語化できるほど明瞭ではないのだが、「とにもかくにもこの空間にいたい」という強い欲求がそこにあるのである。さらに「ここにいるほうが楽だし」「普段の自分は生きてる感じがないんだけど現場では生きてる実感がある」「〇〇(グループ名)があってよかったといつも思う」という声もある。これらを聞くと、言葉の上では彼らは現実の世界には適応できていないのではないかと感じてしまうが、さらにインタビューしてみるとそんなことはない。アイドル界隈以外の世界にも適応できている人がほとんどである。さらには「現場に行くと言うと会社の人が許してくれる」など周囲の理解を得ながらアイドルファンでいる人も実は多かった。これは2000年代のハロー!プロジェクト・ファンの手記などを読んでもそうで、とにかくコンサートやライブに行くのは楽しい、そこにいることがうれしい、みんな(メンバーや知り合いのファン)に会いたい、周囲にも支えられているというファンは数多い。

 かたやアイドル・メンバーはと言うと、先の姫乃によれば(地下アイドルは)両親に愛されて生きてきて、人に愛される喜びを知っている。しかし学校でいじめられたり、人間関係が上手くいかず、その喜びを喪失している。だから学校以外で人間関係を構築しようとしたり、アイドル活動で自己を確立しようとする、と分析する。

 ここで言う「自己」がどのようなものであるのか姫乃は詳述していないが、おそらくそれは単一の自己ではないと思われる。現代のアイデンティティについては多くの研究が「複合的自己」であることを指摘している。簡単にいえば「自分は一つではない」。現代に生きる多くの人たちは場面に応じて複数の自己を使い分けている。そうしたアイデンティティのうちの一つをアイドル活動が作り上げてくれるということではないかと考えられる。

 アイドル・メンバーへのインタビューも度々行なってきているが、その中でも「〇〇(グループ名)に出会えたことが今の自分を作っているんだと思う」「〇〇(グループ名)がなかったら、いまごろどうなっているかわからない」という声は数多く聞かれた。アイドルになることで失われそうになった自己を確立している、アイドルであることががアイデンティティの大きな領域を占めていることは確かだと思われる。また「ここにいることでできることがある」「ここにいる私だから価値があるはず」と、アイドルの活動現場を一つの場所として認識し、複合的なアイデンティティの一部として確立し、そこに存在する自分に大きな価値を見出してもいる。

 さらには「10年後ですか?もし〇〇(グループ名)があれば、私はそこにいます」というように、アイドル・グループ、アイドルの活動現場そのものが、ファンにとってもメンバーにとっても「自己を確立」する「居場所」になっているということである。物理的な会場は変われども、そのグループのメンバーとファンに出会うことのできる「一定の場所」としてアイドルグループは機能している。その「場所」は、たとえメンバーが入れ替わっても継続性を持った「一定の場所」としてあり続けていて、そこに「いる」「くる」「帰る」ことができるところとなっているわけである。

 この「居場所」という概念は、不登校などを扱う教育分野での議論から始まり、臨床心理学や社会学分野から検討され、かつまた建築デザインや社会システム論などさまざまな分野からアプローチされている言葉ではあるが、実は共有された明確な定義があるわけではない。それが使われる文脈によって意味が異なる場合もあるので、学術用語としてはきわめて不確かな状況にある言葉である。むしろ「居場所のなさ」という現象や状況からアプローチする場合のほうが研究の上では明瞭になることからも、残余範疇の一種ではないかと言われることもある概念である(中島、2017ほか)。

 しかしそこには共通するいくつかの論点があるとして居場所概念を検討し「居場所尺度」を構成した研究もある(原田、2014)。その尺度では「いつでも輪の中に入っていける関係がある」といった社会的つながり、「ありのままの自分を受け入れてくれる人がいる」という承認や「自分の行動を必要としてくれている人がいる」などの自己有用感が重要な項目として挙げられている。

 こうした研究を俯瞰すると、アイドルがその活動を通じてファンやメンバーにこの「居場所」を提供していることは確かであると同時に、そこで満たされているものが承認欲求であることもわかる。この承認欲求についても言葉のイメージから誤解されていることが多いのだが、広義には他者から存在や行動を認められたいという意味であって、褒められたい・目立ちたい・一番になりたいという自尊感情や自己顕示欲求のことではない(それは承認欲求の一部を構成するものではあるが)。

 承認欲求とは、個人による自己呈示的行動に対し,他者から何らかの評価を受けることを期待する欲求であるが、菅原(1986)は、そこに賞賛されたい欲求と拒否されたくない欲求とがあるとしている。前者は「賞賛獲得欲求」とされ、自己の呈示的行動に対しポジティブな評価を得ようとするものであるが、後者は「拒否回避欲求」で、否定的評価を回避する欲求とされる。後続の研究では(例えば小島ら,2003)、この2つの欲求は独立して行動に影響を与えうるものだが、ともに承認欲求を構成するものと考えられている。「賞賛獲得欲求」はたとえば「注目されていないとつい人の気をひきたくなる」「信頼されるために積極的に自らの能力をアピールしたい」といったもので、褒められたい・注目されたい・関心をひきたいいうものである。「拒否回避欲求」とは「目立ってしまうと周囲から反感を買うのではと気になる」「自分の意見が批判されるとどうしていいかわからなくなる」などの態度に現れるもので、これはそのまま「居場所のなさ感」につながる内容である。承認欲求とは、この2つの下位欲求からなるということもできる。

 アイドルの活動場面でのファンの言葉や、アイドル自身の声を読み解くと、アイドルが提供する「居場所」とは、承認欲求を充す空間であるということになろう。重要なことはまず「拒否」がなく、そこにいてもよい、存在することが承認された場であるということである。「居場所のなさ」とはすなわち「拒否」されることでもあるが、それがないことが重要なのである。そして時に「賞賛」される、能力や行動がプラスの評価を受け、自己肯定感や自己効力感、ひいては自己の確立につながる場でもあるということだ。これを提供する一定の場所がアイドルの活動場面だということになる。

 Z世代に関する多くの研究や分析が、承認欲求が彼らの特徴であると指摘しているが、その本質的な意味は「拒否されたくない」世代だと考えても良いと思う。しかしそれはおそらく特定の世代に特有なものなのではないだろう。現代社会がそれを要請していると考えるべきではないかと思われる。現在の社会に対する適応的な行動が、拒否を回避することなのではないだろうか。

 以上検討してきたように、まず、アイドルに関わる現象は、現代にはじまった特異な現象なのではなく、歴史上も何度も繰り返されてきた「新たな価値の提案」と「生活者参加型でその価値を創造する」ものであることが確認された。次にそこでは「未熟な存在」であるアイドルの「成長を見守る」のではなく、「挑戦」と「変化」のストーリーがコンテンツとして提示されていることが示された。そして、その活動場面に参加することで、ファンもメンバーも(おそらく運営スタッフも)「拒否回避」と「賞賛獲得」からなる「承認欲求」が充足され、一つのアイデンティティが提供される場面であるということになる。

 やや現代風にまとめるならば「挑戦と変化による承認のプラットフォーム」がアイドルだということになる。かつその存在は、現実の時間軸から切り離されたものとなっていることも示された。今後もさまざまな形でアイドル現象は展開されるであろうし、それが分析される機会もあると思われる。その際には今回示した視点を踏まえたものであることを望みたい。

文献

姫乃たま(2017)、職業としての地下アイドル、朝日新書.

中島信哉(2017)、心理臨床と「居場所」、創元社.

原田克巳(2014)、居場所概念の再構成と居場所尺度の作成、金沢大学人間社会学域学校教育学類紀要(6巻).

菅原健介(1986)、賞賛されたい欲求と拒否されたくない欲求、心理学研究(57巻3号)

小島弥生他(2003)l,賞賛獲得欲求・拒否回避欲求尺度作成の試み,性格心理学研究(11巻2号).

放送学科
兼高聖雄
社会学博士。東京都文京区生まれ。神奈川の生物科学系大学、福島のビジネス系大学、埼玉の総合政策系大学などの教員を歴任し、日芸に。専門はメディア・コミュニケーションの社会心理学。マスコミ理論、マーケティング、サブカルチャー論も研究範囲。担当したい科目はアイドル文化論。日芸のサークルでは「ドルクラ☆」が推し。
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