言葉での表現を志す文芸学科の学生たちのなかには、毎年必ず国語科の中高免許を取得する者がいる。しかも多くの付属校をもつ本学には、教員の求人がコンスタントにある。採用試験に合格し、母校である付属校に着任する卒業生もいる。一昨年の卒業生、中田凱也さんもその一人だ。出身校の日本大学豊山中学校で国語科の非常勤講師を務めている。教師として2年めの夏を迎えた中田さんに、その道のりと近況を尋ねた。
ロックバンドを組んでいた中田さんは作詞をしたくて文芸学科を選んだという。しかしそれは不安を抱えた青年期を生きる一つの選択であって、「ほかにもいろいろなことを学びたい」という欲求が、入学後さらに強まっていった。そして、たまたま気になった科目のなかに教職課程のものがあった。教師へのアドリヴの第一歩だ。
やがて3年生となり、詩を学ぶゼミに入った。そこで詩作指導を受けるうち、「大学」という教育現場でも、自己の不安を表現しつつ、共有し合えるという貴重な体験をする。興味本位であった教職科目にも真摯に向き合うようになる。
「特に書写の授業が新鮮でした。週に一度しかないのに、自分も含めて皆の字がだんだんうまくなっていくのを感じました。今でも授業の板書でそれが生かされています。電子黒板でも、ただ映写するだけでなく、教師が書き入れることによって生徒もノートをとるようになる。自分の字に自信がないとそれができない。書写の体験はとても貴重でした」。
言うまでもなく4年次の教育実習は母校の日大豊山高校――担当の指導教諭は中田さんの専門に合わせ、詩歌ジャンルの教材を自由に扱わせてくれたという。
「生徒たちは詩歌に慣れていないせいか、詩の技法だけでなく、それをどう感じればいいかまで聞いてきました。そこで日藝の授業のように自由に感想文を書かせました。そして先生である自分の文章も発表しました。すると『どう感じればいいか』という質問はなくなりました。何を感じてもよい、ということを学んでくれたのだと思います」。
この実習での体験が講師としての自分を支えているという。
いま中田さんは文芸学科の恩師のもと、詩のサイトを開設運営している。創作者としての姿も教え子に見せたいという。アドリヴはまだまだ続く。
日本大学豊山高等学校・中学校 公式サイト
https://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/
実存文学研究会
https://www.jitsuzonbungaku.com/
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