音楽とシナリオ

 音楽作品には一見するとシナリオというものが存在しないようにも思われますが、実際のところはシナリオ的な要素があります。クラシック音楽を例にしますと、例えば主題というものがあります。この主題というものが様々な場面で再登場し、登場人物に近いものです。例えばリヒャルト・ワーグナーの作品におけるライトモティーフは登場人物そのものを描いているともいえるもので、そのモティーフの登場や他のモティーフとの関係が音楽におけるシナリオを紡いでいきます。

 映画におけるシナリオとの類似性も、例えば、様々な面で音楽作品には散見されます。例えばホラー映画や、ホラー的な音楽作品ですと制作側は観客もしくは聴衆の心理的な状況をシナリオ的に配慮する必要があります。序盤から負荷がかかるとして、その負荷がただただ続くような作品では問題が出るので、合間にある程度その負荷を減らす箇所を作る必要があります。さらにはクライマックス的な場面をもたせる必要があり、そこに向かってシナリオ上の力学を動かしていくことになります。途中でぶつ切りのように終わると不満感を与えてしまうので、明確に結末と認識できる箇所を作り、そこに向かって徐々に進展させていきます。

 黒澤明は最も映画に近い芸術として音楽をあげていますが、そこにはシナリオというバックボーンが作品を形作っているからという理由があるのかも知れません。映画監督のなかには音楽に造詣が深い方々や、音楽家でも映画に詳しい人々は数多くいますし、それはつまり隣接芸術から何かを学び取ることが出来るということでもあると、私は思っています。

 私ごとで恐縮ではありますが、私は作曲家として活動をしていて、作品によっては物語のシナリオを考えつつ作品を作っていきます。ある登場人物が作品の素材に現れたとしたのであれば、その人物の存在意義を打ち出し、物語的背景との関連を作り出し、それぞれの関連を表現していきます。一般的なイメージとしては、音楽というのはインスピレーションに基づいて自由に作り出している、というものがあります。音楽によってはたしかにそのように生み出されるものもありますが、多くの、特にクラシック音楽では、楽式的な展開をシナリオ的に考え出して、その作品の素材たちの前後関係や聞き手の心理を作り出していきます。

 なかなか普段から音楽におけるシナリオということを考えながら作ったり聞いたりすることはないとは思いますが、そういった思考が音楽をより深いものにしてくれることもあります。

音楽学科
小林純生
作曲家、詩人、言語学者
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