「江古田マーブル」 -日藝生が江古田を表現する①-

歴史のありそうな魚屋と奇妙な建物が並んでいる。

新しいけど、新しくない。
小さいけど、小さくない。
なんでもある気がするけど、なんにもない。
新しいものと、新しくないものがマーブル模様で。
ゆがんで、小さくなったり、大きくなったりする。
そんな気がする町。

なつかしい、江古田にはじめて足を踏み入れたとき、そう思った。その日は11月で、つんとした空気がそよいでいた。公募の推薦試験だった。試験は午前中に行われて、朝早くもなかったから周りには同じ受験生しかいなかった。それも数人。みんな自分の足を見て歩いていた。鳥の鳴き声は聞こえなくて、すこし遠くから電車の走る音がかすかに聞こえるだけだった。

しん、という音が耳の中心にいて、地元の北海道のようだった。雪が積もった北海道は、すごい静かになる。カーテンを開けるまで、異世界にとばされたんじゃないかって思うほどに。雪は降っていないけど、江古田もそうだった。校舎が見えるまでの間、江古田じゃないどこかに着いていたらどうしようと考えていた。そんなことはなかったけど。

校舎のなかでも、しん、としていた。紙の擦れると音と新しくない椅子が軋む音しかしなかった。たまに発せられる指示にみんな粛々としたがって、作文を書いて、面接をした。校舎を出ると胸が軽くなった。足取りも軽くなって、すこしだけスキップをした。昼飯時、まだ友達はみんな授業を受けているのに、自分だけもう帰っていいのは罪悪感があった。わくわくした。

そのまま江古田をまわった。駅の周辺をちょこちょこと歩いて、なるほどこんなものか、と思った。江古田は酷く小さいようだった。この先になにかがあると思ったら、住宅街に出た。こっちは広そうだと思ったら、大きい道路に出た。学生“街”があるとのことだったから、さぞかし広かろうと思っていたが、それほどでもなかった。ちょっと拍子抜けだったのを覚えている。

試験に合格して、入学が決まった。友人もでき、また江古田を散策することになった。知ってる道も知らない道も歩いた。おどろいたのは江古田は意外と広いということだ。私は町を歩くとき住宅街に出ると、ここまでがこの町か、と線を引く。だから江古田も住宅街に出たとき、ここまでだと頭の中に線を引いた。

でも、江古田はまだ続いていた。住宅地をすこし歩くと店があったりした。住宅がいくつかあって、ぽつんと店がある。ぐるぐると家と店が混ざり合っていた。どこで線を引いたらいいか分からなかった。古い家の裏に新しい店がある。錆びたシャッターからすこし歩けば、きれいな家がある。さっきまで新しい店が続いていたのに、突然、ひとつ時代が違うような店が現れる。

新しいのも新しくないのも、店も家も、マーブル模様にゆがんでいる。ふと新鮮な気持ちになれたり、なつかしいと思える時間もある。江古田は、そんな気がする町だ。

執筆者:文芸学科4年 堀内塁 ジャーナリズム実習Ⅱ(小神野真弘先生)課題より

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