すべての経験を糧にして、声優を支える道へ

西武線沿線はアニメや漫画とゆかりのある地域として有名だ。その沿線にある日藝は多くの人材をこの業界に輩出しており、なかでも「声優」の活躍が大きな注目を集めている。
日藝には声優のためのカリキュラムは設置されていないものの、声優へのあこがれをもち、声優を目指して日藝を志望する受験生が少なからずいる。また、声優を取り巻く周辺の仕事に将来就きたいと考える学生もいる。放送学科2年の細井悠希さんもその一人だ。現在、ラジオ制作を中心に学んでいる細井さんは声優を支えるマネジャーを目指している。どのような考えで日藝進学に至ったのか、話を聞いた。

中学まで野球をしていたんですけど、進学した高校が野球の強豪校だったんです。野球は好きだけど、ここでは自分に合った野球ができないなと感じて、でもどうにかして野球にかかわりたいと思った時に、自分の中で選択肢として出てきたのが吹奏楽部だったんです。自分は音楽が好きで、楽器にも興味がある。吹奏楽部には野球応援があるじゃないかと。それで、野球に違う形でかかわることができる吹奏楽部に入部しました。
アナウンサーやナレーターにあこがれた時期もあったんですけど、部活で練習をしながら、裏方の仕事として音響のこととか、力仕事とかを手伝うことも多くて、そこから誰かを支える仕事がやりたいと思うようになって、マネジャーという仕事を目指し始めました。
その考えが固まったのは受験期に入った高3の4、5月ぐらいになってからで、同じころに受験勉強をしながらラジオを聞いたりとか、息抜きでアニメを見たりとかしていて、それまでアニメを見て声優さんのことはあまり気にしてなかったんですけど、「この人の声、聞いたことあるな」と調べたりして、どんどん興味をもつようになりました。
受験の動機に至ったのは、ラジオの勉強をすればラジオの道も選択肢にできるし、音響の仕事にもつなげられるし、でも一番は声優さんやナレーターさんと仕事ができる道に進むために、経験を積みながら将来の可能性や選択肢の幅を広げられると考えたからです。

ー実際に放送学科で学んでみてどう感じていますか

実習の「ラジオ制作」で制作スタッフとしてスタジオワークを勉強することは、声優さんの仕事を知ることと同じだと思ってます。
声の仕事をする人たちはマイクと対面することが基本だと思うんですけど、実習のなかでもそういう場面がたくさん出てくるからです。
ワークを通じて声優さんのことが分かれば、それを番組制作にもフィードバックできると思います。
あと1年生でやった「音響制作演習」という授業で番組制作をした時は、ディレクターもやりたかったんですけど、表側に立たないとわからないこともあるし、将来に生かしたいと思ってパーソナリティをやりました。
ディレクターの子と意見交換したり、どのように話したらリスナーに楽しんでもらえるか考えたりと、これもいい勉強になりました。
日芸にはアニメや声優さんが好きな人が多くて、こんなに声を求めている人たちがいるんだなと思います。
だからなおさら、みんなが求めている声優という存在や、声を届ける仕事をやりたいと考えるようになりました。

ー受験生へのアドバイスをお願いします。

自分は野球、吹奏楽、そして今は放送といろんな道をたどってきたんですけど、全部自分のやりたいことにつながっていると思っています。
いろんなことを経験するにあたって、自分が経験して得たものを今にどうやってつなげるか、いつも大事に考えています。
道って一つに見えても、その道の中に細かい道がたくさんあると思うんです。
たまに母校でも受験の相談をされることがあって、「行きたい大学を悩んでるんです」とか、「どういう勉強してましたか」とかいろいろ聞かれるんですけど、必ず言うのは、「選んだ道は一つじゃないよ」ということです。
もう一つ。好きなことがあこがれだったとしたら、辛いことがあってもそれに近づくために勉強して、努力して、自分が好きだと思ったことを他の人にも感じてもらえるように、好きなことは続けたほうがいいと思います。
だから、一番目指したい道が駄目になりそうになってもそれをあきらめずに、別の視点から自分の目指していたことに少しでもかかわれないか考えてみてください。
日藝の場合、自分の好きなことは特に大事にしたほうが目指す道につながると思うので。

放送学科
茅原 良平
1980年生。広島県出身。放送学科教授。専門領域はラジオ。担当科目は「音響制作演習」「ラジオ制作」「ラジオ史」など。2002年に日本大学芸術学部放送学科卒業。本学科の副手を経て、2008年に日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻博士前期課程修了。同年に芸術学部放送学科の助教に就任し、現在に至る。
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