アイドルは、挑戦と変化による承認のプラットフォーム〜1~

 アイドルに関する研究は、アイドル戦国時代といわれた2010年代半ばを皮切りに数多く行われてきたが、2020年代に入って減少してきた感がある。それはアイドルにまつわる社会現象が減少したわけではなく、ほぼ日本文化の中にアイドルたちが日常化し、特に若年層には当然のものとなったからでもある。
 しかし現在またアイドルの活動場面におけるファンの行動を参考にして、新たな消費者行動などを考えようと言う観点も増加してきたので、アイドル現象の分析は多方面で需要のあるものともなっている。
 しかし、これまでに行われた分析がいかされた上で研究が行われているかという点では疑問符がつく。アイドル現象を含んだ若年層文化に関する旧来からのステレオタイプ的な見方であったり、初期のあまり深くない分析がそのまま援用されていたりするのが実情かもしれない。そこで、アイドルに関する現象とその分析成果をふまえて、いくつかの視点でまとめておくことにする。

※放送学科研究誌「放送と表現 2025.Vol.28」より抜粋し加筆修正を行ったものです。

「推し活」は、「新しいなにか」ではない

 アイドルのファンとしてのアクティビティを「推し活」と呼ぶようになったのはごく近年のことである。その語源ともいうべき「推し」という用語はAKB48など女性アイドルグループのファンたちの「推しメン」から来るもので、元来は女性アイドルの男性ファンから出た言葉といっていい。現在この「推し活」という言葉を検索してみると、K-POPを中心とした男性アイドルに対する女性ファンの行動にかかわる物が非常に多いことがわかる。しかしながらこの言葉の活用範囲は非常に広く、かつてのファン・マニア・オタクを含んだファンダム全般について使われているようでもある。

 かたや「推し活マーケティング」という用語もあるように、ファンダムを中心とした消費行動を指す使い方もある。そこではあたかも、SNSなどの急速な普及によってここ数年で現れた若年層主体もしくは女性主体の新たな消費行動かのような解説や言説が多いが、はたしてそうなのだろうか。

 実は女性アイドルグループの活動が、新たなマーケティング領域を先取りしているという議論は今に始まった事ではない。新潟県名産の「やわ肌ネギ」をPRするため2003年7月に結成された3人組アイドルユニットであるNegiccoを分析した川上(2014)は、そのファンが楽曲制作からライブ運営までにかかわるなどの活動は、マーケティングで言うならば、製品中心や顧客中心でもなく、生活者とともに価値を作り上げていくというフィリップ・コトラーの「マーケティング3.0」にすでに相当していたのだとしている。ファンダムと運営が一体となり、またメンバーも一体となって運動する多くのアイドルグループは、その後の参加型マーケティング、経験マーケティング、ファン・マーケティングなどという名称のついた手法をいわば90年代後半から先取りし続けてきているわけだ。ということは「推し活」という言葉は、新たな消費行動の発現ではなく、すでにファンダムに内在していたなにかを、現在そう読みとったに過ぎないということにもなろう。

 こうしたファンダム文化がいつから存在したかということになると、日本において歴史的に確認できるものとしては、歌舞伎の始祖とされる「出雲阿国」まで遡れるであろうか。戦乱の世に現れた阿国は、浪人と化した若い武士たちの中に現れた、女性者の着物を羽織って刀を下げた歌舞伎者たちを真似て踊った。その意味では時代の先端をとらえた男装の美女でもあった。多くの「おっかけ」が存在し。彼女を真似た遊女たちの演舞が歌舞伎の基礎を作っていったとされる。阿国が採用した新しい音楽(三味線という新たな楽器の登場)と舞・踊(振り付けとフォーメーションの融合)がイノベーションとして拡まり、これが「芸」として大衆化していく中で、江戸期の文化である歌舞伎や長唄、舞妓芸妓などが派生していくことになる(赤坂,2023)。

 くだって明治20年。浅草で竹本綾乃助という12歳の少女がデビューしている。彼女は義太夫をかたる太夫である。彼女を中心とした「娘義太夫」は、当時の学生をファンダムの中心として大ブームとなる。綾乃助が登場する劇場の周辺には客がほとんどいなくなったなどの逸話も残る(笹山,2014)。

 義太夫は、長唄の一派であるから、歌舞伎の名シーンを三味線に合わせて唄と台詞とナレーションで「再現」する芸である。ファンたちは演目をしっかりと予習し、ストーリーが佳境にさしかかると「まってました」「さあ、どうするどうする!」など合いの手を入れたので、彼らは「ドースル連」「おっかけ連」などと呼ばれた。推しである娘太夫の名前を自室の壁やランプの傘にかきまくったり、熱烈なファンレターを送ったり、はてはファン同士が新聞の投書欄で「推し」について激論を闘わせるなどの行為も記録されている。娘義太夫沼にハマった娘義太夫オタたちが数多くいたということだと笹山(2014)は言う。

 当時は大学ごとに「推す」娘を分けていたなど「担当被り」を避ける工夫までされていたようではあるが、いずれにしても2000年以降のアイドルブームを彷彿とさせる状況が、明治末から大正の東京の学生たちにはあったということになる。おっかけるだけでなく、オタ芸に通じる行動を含んだファンダムの存在も認められる。おそらく義太夫の制作サイド(運営というべきか)も、こうした状況を理解した上でマネジメントを行っていたと思われる。秋葉原に近い本郷の大学生が、デビューしてまもないAKB48にハマっていったのも、さほど変わらない構造があるというべきであろう。

 現在の「推し活」は、SNSを主体とするスマートホン上のプラットフォームやメディアに大きく依存していることは否定できないが、そこで行われていることは、かつての「ドースル連」や親衛隊やオタたちの行動と、おそらく構造に変化はない。居室一面にファンであるタレントやアイドルのポスターを飾ることと、ホーム画面や通知を「推し」で埋めること、アクスタやぬいを集めることは、そう変わらない。劇場で大向こうから声をかけることと、うちわやサイリウムを振ることも同質であろう。重要なことはアイドルや娘や阿国からなにを受け取ろうとしたのか、であって、ファン行動の表層的な特徴や特異性ではないのである。

引用文献

赤坂治績(2023)、江戸の芸者、集英社.

川上徹也(2014)、新潟発アイドルNegiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ、祥伝社.

笹山敬輔(2014)、幻の近代アイドル史、彩流社.

放送学科
兼高聖雄
社会学博士。東京都文京区生まれ。神奈川の生物科学系大学、福島のビジネス系大学、埼玉の総合政策系大学などの教員を歴任し、日芸に。専門はメディア・コミュニケーションの社会心理学。マスコミ理論、マーケティング、サブカルチャー論も研究範囲。担当したい科目はアイドル文化論。日芸のサークルでは「ドルクラ☆」が推し。
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