CAREER Model インタビュー企画 松竹株式会社 映像企画部 脚本開発室所属 映画学科卒業 由利碧海さんに聞いた「日藝」とは??

ー 当時を振り返り日本大学芸術学部へ入学された動機など、教えてください。

当時、映画の脚本家になりたいという思いが強くありました。しかし、地元の北海道には専門的に映画や脚本を学べる学校や、カルチャースクールのような場所もなく、独学が精一杯。進学を考えていた当時は、一般的な学部に入学してその傍らで脚本を勉強しようかとも考えましたが、自分の「すき」にたくさん時間を使えて集中できる4年間がもったいないという気持ちもありました。遠い東京に出るのに、本当にやってみたいことが別にあるのに、これでいいのだろうかというジレンマを無視できず…。悩んだ結果、せっかく学費を払ってもらうなら、「なんとなく興味がある世界」ではなく、「本当に挑んでみたい世界」に飛び込んでみようと決意しました。

なかでも、日藝はプロの方々、現場で活躍されている先生から学べるというのがとても魅力的に感じられ、業界の第一線でお仕事されている先輩もたくさんいらっしゃること。また、映像表現・理論コースが創設される1年目だったので、脚本だけでなく映像そのものを歴史・制作から評論まで幅広く学べるのではないかと思い、第一志望にしました。

北海道の片田舎からは縁遠い世界を目指して、突然突拍子もないことを言い出す子どもに両親はさぞかし驚いたと思います。しかしその想いを深く理解してくれ、信じて応援してくれた二人には感謝してもしきれません。

ー 学生時代はどのようなことを専門に学ばれていましたか。また、学生時代はどのようなことに打ち込まれていましたか。

映像表現・理論コースでは、2年次までは「映像」「理論・評論」「脚本」の三分野を中心にしながら、専攻の基礎を学びました。3年次からは専攻に本格的にシフトするのですが、私の場合は「脚本」にじっくり取り組みました。ゼミに所属し、仲間たちと「観る・書く・読む」を繰り返しました。

ー 学生時代に印象に残っている授業科目や課外活動などはございましたか。

脚本専攻になってからの「ゼミ授業」です。その場で出される課題に合わせ手書き執筆した即興の短編から、3時間の劇映画想定の長編まで、様々な作品を考えてはひたすら書きました。この当時、本編を書くだけではなく、その前準備段階でとても重要な「企画書」「ハコ書き」「プロット」などの指導を受けられたことが、現在の職務につながる非常に大きな学びとなっています。

授業外では大学同期や先輩の映像制作現場でスタッフとして参加させてもらったり、脚本の写本に時間を費やしていたことが多かったです。日藝には貴重な脚本資料がたくさんあるので、図書館で借りてはこそこそ手書きで写し、プロの人気脚本家のト書きやセリフに発見があったときは楽しくて仕方なかったことを覚えています。

2,3年次のゼミ誌。理論・批評専攻と脚本専攻の研究成果や脚本作品が掲載されています。
当時は「観る・書く・読む」を繰り返す日々。たった1年間のちがいですが作風が180度変わっていて、読み返すたびに初心を思い出します。

ー 日藝に入る前のイメージと、入学後、卒業後のイメージにギャップはありましたか。

単なる映画ミーハーの地方民だったので、ものすごいレベルの高い映画知識を求められたらどうしようと若干の不安がありました。入学してみると、先生も同期もまったくそんなことはありません。コアの極みからラフなエンタメラバーまで、映画というジャンルを中心として様々な人たちと巡り会えました。新しい刺激から、慣れ親しんだ興奮まで、様々なキャッチボールができる環境は4年間ずっと楽しかったです。

ー 学生時代に抱いていた「こうなりたい、こんなことをしたい」という「夢」について教えてください。

冒頭にも書かせていただいた通り、とにかく「脚本家になりたい」という気持ちは変わりませんでした。しかし、日藝で映像を幅広く学べば学ぶほど、日藝を通じて出会えた友人や先生の影響で、脚本に限らず、現代の邦画業界を取り巻く映画ビジネス全般への興味がますます強くなっていったことは間違いありません。卒業するまでには、脚本家になるためにも、現代における邦画業界の映画ビジネスを知りたいという新たな目標ができました。

ー 現在のお仕事に就かれた理由や動機などを教えてください。

「邦画業界の映画ビジネスに携わりたい」というのが大きな動機です。今に通じるエンタメを描けるような脚本家になるためには、社会を広く見て体験しなければという思いもあり、フリーではなく会社というものを経験してみたいと考えるようになりました。ご縁あって現在の会社に入社でき、望んでいた世界に触れる機会をいただけましたが、入社当時は人事部に配属…。給料や新卒採用業務は、大学の4年間からすればまったく専門外の世界。しかし今となっては、あの時間が現在の自分の基礎をつくってくれた貴重でかけがえのないものであったと思っています。配属当時はまったく専門外の仕事だと思っていましたが、「現代に生きるお客様に共感・興味をもってもらえる」という社会のひとつを学べましたし、チームで仕事をするという大切なことも教えていただきました。現職にすべてつながっています。

ー 現在のお仕事の内容ややりがい、こんな形で社会とつながっている、といった紹介をお願いします。

弊社には邦画業界では珍しい「スクリプトドクター」のような役割を担っているセクションがあり、設立当初から仕事をしています。主な業務内容としては、プロデューサーからの依頼に応じ、脚本の問題点を分析して、様々な創作術や過去作品を元に問題解決を目指すという、脚本面でのクリエイティブサポートを行っています。「現代のお客様に喜んでいただける作品にするには」を常に考えなければならないので、映画や脚本にまつわる知識だけでなく、現代における社会問題やターゲット層のリアル情報等の研究ももちろん欠かせません。スクリプトドクターは日本ではまだあまり馴染みがなく、同様のセクションをもっている企業も少ないため、設立当初はいろいろ大変でしたが、チームの仲間とともに日々考えてはチャレンジしながらやってきました。

現職でテレビ番組の撮影現場応援に参加した際の一枚。
普段はデスクワークばかりですが、プロデューサーからの依頼に応じて、様々な映像制作の現場を経験させていただいています。

ー 現在のお仕事で「日藝」時代の学びや経験から得られた能力などがあれば教えてください。

100年目を迎えた松竹映画にまつわる仕事は、歴史から制作現場、そこで交わされる用語に至るまで、「日藝の授業で教えてもらったアレだ!」と過去と現在がつながることが本当に多いです(なので、当時の自分に戻ってもっと日藝を隅から隅まで吸収したいと思ったか数知れず…笑)。日藝で学んだことが、入社時すでに知識として自分の中に蓄積されているというのは非常に幸運なことだったと思います。
また、監督・脚本家・プロデューサー等様々なお相手と打ち合わせをし、意見を交換して、面白い作品をつくろうとする現職の環境は、今思えば、「先生/学生」「教える/教えられる」の立場や年齢・性別を問わずに、脚本や映画そのものと格闘した濃密なゼミの時間と非常に似ています。当時のゼミの先生にいただいた「スクリーンの向こう側を意識する」「広く社会を知って体験する」という言葉は、未だに私が仕事をする上での大切な軸となっています。

ー 現在のお仕事を進める中で日藝を出て、良かったと感じるエピソードなど、ございましたら紹介ください。

社内外問わず、日藝出身だとお伝えすると、「日藝なの!?」とコミュニケーションが一気に進むことがよくあります。業界のどこへいっても必ず先輩や後輩の方がいらっしゃるので、新参者でも安心できる現場が多いです。これは、日藝に関わる皆さまが築いてくださった大きな財産だなと日々感謝しています。日藝同期とは卒業してからも、仕事で頼ったり相談したりすることがよくあり、今も昔も日藝の輪に助けられています。

ー これから受験を考えている高校生に、日藝をお勧めする(としたら)一言をお願いします。

業界に対して本気ならばなお楽しい、興味だとしても視界が開ける。結果、自分のなにかが見つけられる。そして、今でもふと帰りたくなるようなあたたかい場所。日藝はそんな大学だと思います。

映像作品の脚本術や小説漫画等の創作術に関する参考書の一部(お見苦しい状態ですみません…)。
現職になってからは毎日どれかを参照して、「現代のお客様に喜んでいただける作品にするには」と考えながらプロデューサーのサポートを行っています。
2016年 映画学科映像表現・理論コース卒業
由利 碧海
松竹株式会社 映像企画部 脚本開発室所属 / 一般選抜利用
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