日藝で学んだことで、
現在仕事をするうえで活かされているなと
感じていることはありますか
日藝で学んだことで、
現在仕事をするうえで活かされているなと感じていることはありますか
実習系の科目はどれも印象に残っていますね。同級生と作品を作ることで技術を学んでいく、というのは日藝ならではだなって思います。もちろん先生たちから「こうやって映画を作っていくんだよ」って教わるんですが、ある程度教わった後は「自分たちで作りたい作品を形にするために、皆で頑張ってください」って放っておかれる。でもそのおかげで、「皆で映画を作っている」という意識を身につけられたんだと思います。撮影現場で例えば照明だったり音声だったり、スタッフになかなか意見を言いづらい瞬間があったとしても、日藝で学んだおかげで「皆で映画を作ってる」という意識を再認識することができるから、臆せず話をすることができるんですよね。そういった点が今の自分にも活かされていていると感じますね。
井之脇さんにとって、
日藝はどんな場所ですか
親みたいな場所ですね。俳優の仕事って、現場で実際に動いたり、先輩と話して学ぶ機会は多くある一方で、授業のようにノウハウをしっかり教わる機会は少ないような気がしていて。だから日藝は、子供の頃にご飯の食べ方や歩き方を教わるのと似たような感じで、作品の作り方や歴史といった映画の基礎の部分から教えてくれた場所です。宮澤先生が今でも僕が出演している作品を観た後に電話をかけてきてくれて、愛のあるダメ出しを頂いたりします(笑)。そういう意味でも、親のような、見守ってくれる存在のように感じます。
学生時代に出会った印象深い
人はいますか
学生時代に出会った印象深い人はいますか
当時監督コースの学生だった小林大輝くんですね。彼はものすごく不器用な人で、彼と初めて会った人はまず友達になりたがらない、そんなタイプです。僕も1年生の時は、彼とほとんど話したことがありませんでした。2年生になったある日、僕が友人と本の話をしていたら、急に彼が「俺もその本好き」って話に割って入ってきたんです。お互いに共通の好きなものがあると、なんだかそれだけで仲良くなれるような気がするんですが、それから映画の話もしたり、いっしょに映画を見に行くようになり、最終的には江古田の居酒屋を二人で巡るほどの仲になっていましたね。
彼は不器用なんですけど、周りの皆が助けてあげたいと思うような、映画への真っ直ぐさを持っていたんです。2年生の実習の時なんですけど、6人の監督がそれぞれ1シーンずつ撮っていく形式だったんですね。その日は小林くんのシーンを撮影する日だったんですが、監督が居ないと撮影できないのに、なんと小林くんは寝坊してきてた(笑)。そんなの、ダメじゃないですか。でも彼は「ごめんなさい」って謝ったあとに「僕のせいで時間がなくなってしまったけど、でも僕はこれを撮りたいんです!」って。じゃあ、最初からちゃんと時間通りに来いよって話なんですけど(笑)。でもその流れで撮ったシーンが、すごく良い出来だったんですよ。それに完成した作品を観たときに彼の映画にかける想いがすごく伝わってきた。3年生の実習で小林くんに声をかけてもらった時、この人とならどんなイレギュラーなことがあっても面白い作品が作れるかもしれないと思って、共に作品を作ることを決めました。その映画への真っ直ぐな想いは僕には無いようなもので、羨ましいなと思っていましたね。彼の撮る世界は本当に素敵で、卒業後に作った『スリップシティ』が賞にノミネートされたこともありますし。今後一緒に映画界を担っていけたらなって思う仲間です。
影響を受けた映画作品はありますか
レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』です。初めて観たのは、16とか17歳ぐらいの時ですね。僕の知らない世界が詰まっていて、この作品がきっかけで映画にのめり込んでいきました。あと大学1年生の時、演技コースの友達と一緒にカラックスのオールナイト上映を観に行ったことがあって。そういう意味でも、思い出深い作品ですね。
在校生へに向けてメッセージを
お願いします
在校生へに向けてメッセージをお願いします
学科ごとに固まらず、学科の垣根を越えていろんな人と話をしてください。これは僕が出来なかったことだからこそ、やって欲しいなって思いますね。僕も学生時代ずっと映画学科の中ばかりに居たんですけれど、卒業してからできた美術が好きな友達にいろんな美術展に連れていってもらっているんです。せっかく日藝には8学科あるので、そういった経験を学生の時にして欲しいなって思います。
(構成:太田)