いつも最前線で、そこに
生きる人の生活や思い、
考え、そして、人生の記録を撮り続けていたい

映画学科
関口 寛人

いつも興味の中心は「人」

写真記者として世界のあらゆる出来事を撮影・発信していますが、「社会問題を伝えたい」という意識はあまり強くありません。それよりも興味があるのは、人自体。どこで、どんな人が、何を考え、どういう生活をしているか。それを見て、話を聞いて、撮影したい。

その思いは、写真を撮り始めた高校生の頃から変わっていません。父親のフィルムカメラで友人や知人を撮影するのが楽しかったんです。風景などには関心がなくて、最初からドキュメンタリー寄りの写真を撮るのが好きでした。その流れで自然と写真の勉強がしたいと考えるようになり、日本大学芸術学部に入学を決めました。

日藝で学んだ一番大切なことは、
写真に向き合う姿勢や考え方だった

入学して1年ほどは、平日は暗室作業、そして週末には新宿の路上生活者の元へ通っての撮影という日々を過ごしました。それまで路上生活をする人と話すチャンスはほとんどなかったのですが、話してみれば普通の人たちで、その一方、それぞれが複雑な事情を抱えていました。世の中にはいろんなことがあるんだと知った貴重な体験でした。2~4年生の頃は、長期休暇のたびにカンボジアやスリランカ、ボリビアなどに通ってルポルタージュを制作。カンボジアでは3家族と仲よくなり、2度目からはその人たちに会いに行くのが目的になっていた感じです。出来事よりも「誰」に会い、「誰」を撮るかが中心にありました。このカンボジアでの撮影が卒業制作に結びつきました。

授業では基礎から撮影技術を先生方に教えていただきました。特に印象に残っているのは、撮影に向かう心構えや考え方についてです。1年の写真基礎演習では「あなたたちはスポーツ強豪校の選手のようなものです。スポーツ選手が毎日、練習をするように、毎日、写真のことを考え続けてください」と言われました。そして「撮影は技術に左右されますが、傷を修正したり額装する仕上げ部分は、技術より誠意が大切です」とも。この心持ちは今も仕事の糧になっています。トリミングせずに使える写真を撮れるように真剣に撮影に立ち向かう、どんな作業でも流さずに丁寧にやりきる。忘れてはいけないことだと思います。

東日本大震災、オリンピック、コロナ禍、ウクライナ侵略、トルコ地震。いつでも最前線に

世界で起きている出来事、そこにいる人たちを最前線の現場で撮影したい。この思いが強かったので、自然と新聞社か通信社に就職したいと考えるようになりました。そして希望どおり、写真記者に。今まで世界中の現場に行ってきましたが、一番印象に残っているのは、東日本大震災です。当時は大阪勤務で、その日は非番でした。しかし当日の夕方には会社から車で現地に向けて出発。次の日の朝から10日間ほど、毎日毎日、被災者の話を聞き、撮影を続けました。

2011 東日本大震災

その時何度か耳にしたのが「ここは地獄だよ」という言葉。その通りだと思いました。人手が足りないために亡くなった妻と母親を収容できず、1週間も雪の降り積もったがれきの中で、そのままにしておかざるをえなかった男性。毎日亡骸の元に通い、手を合わせていました。絶望の中、男性の口から出たのは、「この状況を伝えてほしい」。同じような言葉は、たくさんの方からいただきました。希望もありました。津波で浸水し、孤立した住宅から、夫婦と生後4ヵ月の女の子が自衛隊によって救出されるシーンを撮影しました。その1ヵ月後ぐらいに避難所で再会したお母さんからお話を伺ったところ「津波で娘の写真が全部流されてしまったので、この写真がこの子の初めての写真になりました」。忘れられない体験です。

2011 東日本大震災

2023 トルコ地震

人生の記録を撮らせてもらう仕事。
役に立てることが、嬉しい

最初の頃は「いい写真が撮れた」「紙面に載った」ことを単純に嬉しく思いました。でも、長く仕事を続けている今は、撮らせてもらった人が紙面に載った時に喜んでくれること、それが自分の喜びにもなっています。東日本大震災はその後も追い続けていて、先日は前述の女の子の、中学の入学式を撮影しました。毎年通って家族と交流を続けているので、仕事というよりも子どもの成長を見守る親戚のおじさんみたいな気分です(笑)。

近年、個人でも情報を発信できる手段が増えてきました。でも、オンタイムで最前線に行けるのは、新聞社に所属しているから。日本だけではなく、自分の写真が海外の通信社を通じて世界中のメディアに配信されることもあります。多くの人に見てもらえることはやりがいになります。そしてもう一つ忘れられないのが、東日本大震災の時、電話もインターネットも通じず情報が手に入らない避難所で、多くの人がグチャグチャになった新聞を回し読みしていた姿。新聞はまだ役に立てる、できることがあると思いました。だから、これからも新聞の写真記者として最前線に立ち続け、世界に向けて発信していきたいです。

2022 ウクライナ侵略

2022 ウクライナ侵略

2022 ウクライナ侵略

(※職業・勤務先は、取材当時のものです)

関口寛人 せきぐち ひろと
2007年写真学科卒。38歳
読売新聞東京本社 編集局写真部 写真記者。
事件事故や、戦争、災害、政治、スポーツなど世界中の出来事を撮影し、新聞紙面やオンラインで発信する

OTHER INTERVIEWS

Cross Model 卒業生CROSS MODEL 卒業生インタビュー
Cross Model 在学生

TOPへ