脚本のアドバイザーを
邦画業界に広める目標。
新作実現を目指す
脚本家としての夢。
どちらも、追い続ける。

映画学科
由利 碧海

「物書き」と「映画」。
2つの「好き」を両立できる「脚本家」を夢みた学生時代

実家は北海道の田舎で専業農家を営んでいます。休みという休みがないなかで、唯一の家族イベントが映画館に行くことでした。大きなスクリーンのなかで繰り広げられる大迫力のエンターテインメントにたちまち夢中になりました。

そのうち、「脚本家」という仕事の存在を知ることに。もともと大好きだった「物書き」と、家族イベントをきっかけに好きになった「映画」。中学生になる頃には自然と、その2つを両立できる「脚本家になりたい」と考えるようになりました。

しかし、地元には映画や脚本を学べる学校がありません。私の気持ちを理解してくれた両親の後押しがあり、映画の現場で活躍するプロの先生がたくさん在籍する日本大学芸術学部への進学を決心しました。「一刻も早く脚本を書きたい」という気持ちに燃えて地元を出たことを覚えています。

重要なのは「執筆段階」よりも、
「準備段階」だと教えてくれた日藝

2年次までは「映像」「理論・評論」「脚本」の三分野を中心に映画の基礎を学び、3年次から「脚本」へ本格的にシフトしていきました。ゼミに入り、「やっと脚本が書ける!」と張り切っていたのですが、すぐには書かせてもらえません。最初はキャラクターの作り方や作品の見方、シナリオ理論などを学びました。企画書を作り、ハコ書きと呼ばれるシナリオの大枠を作り、プロット(あらすじ)を書き、やっと脚本執筆へ。

当時はじれったかったのですが、準備段階をプロの先生から丁寧に教えていただけたのは、今から思うと素晴らしい体験でした。脚本を分析し、脚本の前段階でどんな打合せがなされていたかを読み解きながらサポート・アドバイスをする現在の仕事に、そのまま役立っています。ゼミで学校の仲間たちや先生と垣根なく議論しあえる環境を大学時代で経験できたのは、何よりの財産です。「スクリーンの向こう側を意識する」という恩師からいただいた言葉は、現在の仕事をする上での大切な軸となっています。

大学4年間を通して「脚本家になりたい」という想いは変わらなかったのですが、映画を幅広く学ぶうちに「映画ビジネス」に対する興味も強くなっていきました。また、現代に通用するエンタメ作品を書くためには幅広く世の中を知っておく必要があるとも考え、フリーではなく会社員を経験したいと思うようになり、映画会社を中心に就職活動を行いました。

当時は邦画業界初だった「脚本アドバイザー」の専門部署

そして縁あって、現在の会社へ入社しました。最初は人事部に配属され、「相手の立場になって仕事をする」ということを教えていただきました。2年ほどして社内に脚本ルーム(現:脚本開発室)という部署ができることになり、その立ち上げメンバーに選ばれました。映画の部署を経験しているわけでもないのに「なぜ私なのだろう?」と思ったのですが、今思えば就活時のエントリーシートに書いた「脚本専攻」の文字が目に留まったのかもしれません。

立ち上げメンバーは3人。「ハリウッドでいうスクリプトドクターやストーリーアナリスト的な役割を担ってほしい」ということで始動したのですが、当時の私は少し耳にしたことがある程度でした。脚本の問題点を分析したり、過去作品や脚本にまつわるさまざまな調査を行うことで脚本面を中心にクリエイティブをサポートする役割で、ハリウッドでは普及していますが、日本ではまだ珍しい仕事です。当時の邦画業界では、フリーで活躍している方はいるものの、会社組織には専門部署がないという環境でもあったため、プロデューサーや監督・脚本家の方々にはとても驚かれたことを覚えています。仕事や態度、結果で答えを見せなければならないと気持ちを切り替え、知識と経験を積み重ねるのはもちろんのこと、コミュニケーションを重視するようにしました。振り返ればこの時の行動は、在学当時の私が日藝の先生や仲間にしてもらったことと同じだったと思います。

そうしたやり取りのなかで、プロデューサー・監督・脚本家の方々にとって作品は、子どものようなものだという話を聞いたことがありました。原作やネタ元を探し、企画書を作り、こう育てたいという熱い想いを持ちながら取り組んでいるという本音を伺い、「そんな時には脚本分析の立場で、第三者の視点からアドバイスがほしい」という声をいただくことが増えていきました。もっと役に立つようになりたいと夢中でやっているうちに、その想いを理解してくださったのか、さまざまな打合せや現場に連れ出していただけるようになりました。

スクリーンの向こう側のお客様に
楽しんでもらえる作品づくりを

たくさん失敗しましたが、先輩の皆さんは私を見捨てたりせず、数多くのアドバイスや教えをくださり、いろんなシチュエーションで後押ししてくださいました。丸4年経った今では依頼の数が増え、先輩たちから「うちの脚本分析担当です」とご紹介いただけるようにもなりました。まだまだ未熟ではありますが、皆さんのさらなる期待と信頼に応えるべく、勉強と仕事に取り組む毎日を送っています。

これからの目標は、脚本アドバイザーの仕事を日本に根付かせること。ハリウッドでは脚本を審査する職務は存在するのですが、私たちは日本の現場の方々に寄り添うサポーター・アドバイザーとしての役割を果たし、邦画業界全体にこの仕事を広げていきたいと思っています。そして、もう一つの目標はもちろん、自分の代名詞といえるような新作脚本を書くこと。その脚本を、日藝の仲間の力を貸りて映像化したいという夢があります。

これまでさまざまな局面で、日藝の恩師・松島哲也先生の言葉を思い返すことがありました。卒業の時、先生から「新作を書くまで会いに来るな」と言われていたのですが、たまたま映画館で観て衝撃を受けた作品のプロデューサーが松島先生だったと知り、思わず訪ねてしまったことがありました。「書き上げていないのに来ちゃってすみません」と謝ったところ、先生に笑われてしまいました。そんな細かいことを考えず、いつでも顔を見せに来いという笑いだったのだと思います。
こうした先生とのやりとりは日藝の仲間とも同じで、日藝からもらった宝物だと思っています。そうしたものを大切に、これからも脚本のアドバイザーとして、一人の作家として、スクリーンの向こう側のお客様に楽しんでいただける作品づくりを続けていきたいです。

(※職業・勤務先は、取材当時のものです)

由利碧海 ゆり あおみ
2016年映画学科映像表現・理論コース脚本専攻 卒。31歳
松竹株式会社 映像企画部 脚本開発室所属。
脚本開発や分析を主な業務とした脚本を中心のアドバイザーを務める

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