弱い立場に追いやられた
人たちの、姿を、想いを
届けるため魂を込めて
シャッターを切る
フォトジャーナリストになる!
明確な目標を持って入学
小学生のころから、実家にある戦争や社会問題について書かれた本を読み、「目の前で家族や自分の大切な人が死んだら、どんな思いがするだろう?」と考えていました。そして、中学高校と進むにつれ、社会の不条理に対する疑問や怒りが大きくなり、将来は弱い立場に追いやられてゆく人々をサポートするNGOスタッフになりたい、と考えるように。そして高校卒業後、国際協力を学ぶ専門学校に入学しました。
専門学校入学後は、NGOでのボランティア活動に力を注ぎました。当時は特に、野生動物の保全活動、密猟問題に取り組むNGOでのボランティアに力を入れていたのですが、そこで、そうした活動に積極的に協力する写真家が多くいることを知り、写真の「気づかせる力」に惹かれるようになりました。そんなころ、このNGOのお手伝いで1週間ほど、ロシアのウラジオストックに行く機会がありました。シベリアトラの密猟を監視する人たちの支援だったのですが、その様子を撮影するためにプロのフォトジャーナリストが同行していました。
その人が魂を込めてシャッターを切っている姿を見て「自分もこうなりたい。絶対にまたこの場所に、プロのフォトジャーナリストとして帰ってくる」と、心に誓ったのでした。
しかし、この時点で写真に対する知識や技術はゼロ。写真について学ぶため、そして4年間でたくさんの挑戦をし、自分の取材テーマを絞るために、写真学科への入学を決意しました。
カンボジアに通い、
写真の持ち込みを繰り返した学生時代
大学1年生の時に、ここで出会ったWCS(ニューヨークに拠点を置く国際野生生物保全NGO)の研究員の方と共に、ナショナルジオグラフィックの写真家であり、私の憧れの人でもあるマイケル・ニコルズ氏に会う機会を得たことは、一つの転機になったと思います。
ニコルズ氏から投げかけられたのは「まだ若いのだから野生動物ばかりを追うのではなく、もっと視野を広げた方がいいと思うよ。私がアフリカを通して世界が見えるようになったように、君もどこかの国を通して世界を見られるようになるといいんじゃないかな」という言葉です。その言葉によって、野生動物以外のテーマにもチャレンジしたいという気持ちを強くしました。大学入学後もこの野生動物保全活動に取り組むNGOでのボランティアを続けていました。
そして帰国したタイミングで、専門学校の後輩たちがカンボジアのゴミの山に生きる子どもたちを支援するNGOの視察に行くということを知りました。視野を広げるチャンスだと思いましたし、専門学校時代にカンボジアの歴史などを学んで問題意識を持っていたこともあり、自分も一緒に行き、この活動を取材することにしました。
初のカンボジア訪問で感じたことは、人々の生きる力です。熱気あふれるプノンペンの街、そこに生きる人々の躍動感はすごい。一方で市場には地雷で足を失った人がいたり、ゴミの山で有価物拾いをする子どもたちがいたりと、ポル・ポト時代と内戦に起因する傷跡も目のあたりにしました。この姿を、この人たちの想いをもっと知り、世界に伝えたい。そう考え、大学時代は春・夏の長期休暇を中心に毎年のようにカンボジアを訪れ、取材を続けました。そして帰国後は、撮影させていただいた人々の姿と願いを伝えるために、通信社や雑誌社に写真を持ち込み、発表を重ねていきました。
カンボジアへの移住。
圧政に抗う人々の姿を世界に届ける
卒業のころには、カンボジア移住の決意を固めていました。在学中に撮った写真とそこに込めた想いを書きつらねた文章を全国の新聞社に送ったところ、私の故郷である秋田県の秋田魁新報社から、「素顔のカンボジア」という月1連載の仕事をいただくことができました。そのチャンスに飛び込み、カンボジアに移り住んだのが卒業の年、2007年です。
それから11年間カンボジアで暮らし、自由と民主を求め、独裁政権に抗う人々の姿を写真に収め、声を聞き、日本とカンボジアを中心に、世界中のメディアを通して発表し続けました。
そして2018年。政権側は、変革を訴える最大野党と、独裁に異を唱える市民運動、その活動を報道するメディアを徹底的に弾圧して潰すことで、総選挙に大勝利を収めたのです。その不正選挙の最前線を取材した私は、これはどうしても写真集にして世界に伝えなければいけないという思いを強くし、帰国。
秋田魁新報社より「RESISTANCE カンボジア 屈せざる人々の願い」として出版にこぎつけました。そしてこの本で、写真界の直木賞と呼ばれる「土門拳賞」を受賞。その後、カンボジアの現状を伝える機会を数多く得ることができました。
フォトジャーナリズムが果たすべき役割を、
次代につなげる
写真学科での時間は、私の大切な基盤になっています。
カンボジアでの取材を重ねることができた時間であり、フォトジャーナリストとしてのスタンスも、現地で出会う人々の姿と願いを通して、固められていきました。そんな私の志を温かく見守ってくださり、今は故人となってしまったお二人の先生の授業は、とても印象に残っています。一人は、熊切圭介先生。「フォトジャーナリズム」の授業では毎回、撮影テーマが出され、そのテーマに基づき「フォトストーリー」を構成し、学生同士で発表を行いました。梅津禎三先生の「フォトジャーナリズム」のゼミでは、ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材されていた先生の話に心が強く動き、先生の経験を通して、大切な学びを与えていただきました。
そして今。カンボジアの現状を伝えるための講演活動を行ったり、母校の写真学科などで、フォトジャーナリズムの講義をする機会をいただいています。自らの経験とフォトジャーナリズムが果たさなければいけない役割を後輩に伝えることも、大切な使命だと考えています。
そしていつの日か、弾圧のない自由な社会がカンボジアに訪れた時、希望にあふれる人々の姿を写真に収めたい。それが私の夢です。
土門拳賞、PX3(パリ写真賞)写真集部門ゴールドアワード、受賞多数。
2019年より、日本大学芸術学部写真学科「写真特別講座Ⅱオムニバス」の講師陣の一人を務める。